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八十八番目
2009年3月に始めた「花遍路」、
去年の秋に最後までまわれなくて、
今年はぜひ満願に…と思っておりました。

今日はゴールデンウィークにしてまたとない
巡礼日和。
自転車でまずは東中野から新宿方向へ。
  

8番 医光山 円照寺 新宿区 北新宿3-23-7
4番 延命山 光徳寺 新宿区 上落合1-23-4

長谷寺系のお寺は牡丹が美しいです。


お掃除直前のところを写させていただきました。


途中道に迷ったあたり(^^)。
所用でこのあと神田川沿いに江戸川橋へ。
新緑のオゾンシャワーを浴びました。


そして池袋から明治通りを王子へ、そして
西福寺、清光寺へ

67番 三縁山 西福寺 北区豊島2-14-1



79番 医王山 清光寺 北区 豊島7-31-7


おたまじゃくしを見守る?カエルのお母さん(推定)。

そしてそれから荒川へ。思えば遠くに来たものだ。
お遍路しなかったら、きっと知らないところばかり。


お遍路終えて、次はどこへ行こうかな…。


それにしてもここは気持ちいいな…。
# by youyouhibiki | 2012-04-28 20:55 | Comments(0)
陸前高田市復興支援プロジェクトのこと

江古田の教会でゴスペルを歌っているメンバーの一人が、
陸前高田に定住して復興活動をするために先週旅立ちました。
地震直後から何回も陸前高田に泊まり込みで応援に行っていた
若い男性ですが、今後定住して活動されるとのことで、
その勇気ある行動に感嘆するとともに、
私も少しでも応援していこうと思っています。

陸前高田市復興支援プロジェクト
Loge Takata, Love Japan Project


彼らのプロジェクト「キーポスト」では、販売するキーホルダーに
シリアルナンバーを付け、登録しておくことで、

1. 落としたとき交番などに届けられ本部に連絡が行くと、
 本人に連絡がくる。

2. 身につけていて不慮の事故にあった場合でも身元確認が早くできる。
 あらかじめ個人情報(既往症や飲んでいる薬などを含め)を
 登録しておくことにより、病気や怪我のときに医者などに
 それを知らせることができる。

3. 身につけるものを持ってもらうことにより、陸前高田のことを
 ずっと思い出してもらえる。

というメリットがあり、もちろん、売り上げの一部は
復興活動に充当されます。

さっそく私も購入しました。デザインも素敵で、
とてもしっかりしたものです。
(注文したところで、本体未着。またアップしますね)

全国各地で様々な支援が行われていると思いますが、
何か身近なところからぞれぞれが様々な支援をしていけると
いいですね。

4月18日(水)プロジェクトスタート、
陸前高田市役所にてオープニングセレモニーも予定しているとのことです。


興味ある方は、HPをぜひご覧ください。
# by youyouhibiki | 2012-04-11 17:11 | 思う・考える | Comments(0)
試訳
交感
(エミリー・ディッキンソンに寄せて)
         ポール・クローデル

渇きこそが水を産み
海こそが川を呼び醒ます
見よ 空の高みには
荒々しい大気がひしめいている
わが魂はそれを見いだす人のもの
あなたの両の眼はそのためのもの
私を在らしめるのはあなたの魂
わが過去の不在はそのためのもの
器こそが水を求め
雪こそが烏を呼びよせる


Correspondances
(d'après Emily Dickinson)
        Paul Claudel

C'est la soif qui a produit l'eau
La mer convoque ses rivages
Vois le ciel crépiter là-haut
De mille systèmes sauvages
Mon âme pour qu'on la voie
Vos deux yeux étaient nécessaires
Votre âme pour que j'y sois
Mon absence était nécessaire
Le vase a appelé l'eau
Et la neige le corbeau.


1939年、クローデル67歳、
外交官職引退当時の詩です。
好きなディッキンソンの名前につられて
読んでみました。
間違いがあるかと思いますし直訳でもないのですが、
クローデルの詩にはなかなか出会えないこともあり、
載せてみました。

( Poésie/Gallimard ''Poésies'' Paul Claudelより)
# by youyouhibiki | 2012-03-23 23:14 |  ポール・クローデル | Comments(0)
2月に読んだ本
2月は仕事が忙しい時期なので、
あまり本は読めないのですが、
それでも読んだ本いくつか:

『植物記』(牧野富太郎、ちくま学芸文庫)
小学校の頃、「とても偉い植物学者」と習った牧野富太郎さん。
練馬に引っ越してきて、その牧野さんのお住まいだったところが
「牧野記念庭園」になっていることを知りました。
それで、牧野さんってどんな方なのだろう、と思っておりましたが、
本を読んで、いろいろ知ることができました。
中でもへーって思ったこと:
植物画を描くために石版画を習われている。
本の表紙にも美しい花の絵がありますが、ご自身が描かれているのですね。

万葉集などに歌われた花や木が何だったか、いろいろ考察しておられること。
たとえば
 妹が為め菅の実採りに行きし吾れ山路に惑どひ此の日暮しつ
の菅の実は、ずっとヤマスゲの麦門冬と解されていて、
確かに子どもが持って遊んだりもするけれど、
大人がそれで遊ぶだろうか、夫がわざわざ採りに行ったよと
歌うだろうか? そうではなくて、
染色に使う奥さんのために夫が採りに行った歌ではないだろうか、と考え、
いろいろな植物について考察しておられるところが面白くまた
なるほどと思うところでした。
牧野記念庭園も、暖かくなったらぜひ行ってみたいと
思っています。


古典を読む『古事記』(益田勝実、岩波書店同時代ライブラリー)
益田勝実という先生についてはwikipediaに、
「民俗学を説話研究や民俗学の視点を(国文学に)導入した研究で知られる。」
と書かれていますが、私は何も知らずにただ古事記のことが知りたくて
読みました。
ところがこれが読み始めからとても面白い。
一般の人に向けて書かれているからか、
途中で先生の「悩み」(研究上の)が書かれていたりもして、
急に親近感を覚えてしまう。
本はもう図書館に返してしまったのですが、
どこかで見つけたら買ってまた読みたいし、
ちくま学芸文庫でも「益田勝実の仕事(全5巻)」というのが
出ているらしいので、読んでみたいと思っています。

中でも、「青虫教」の話が面白いのですが、
(うろ覚えですが)、なんでも古事記に、青虫を敬えと言い、
橘についた卵や青虫を集めさせる新興宗教を起こした人の話が
あるのだそうです。
で、それを当時勢力者だった秦氏が捉えて、集めていた青虫は
ぜんぶ燃やすか何か、すべて処分されたのだそうです。
だけど…と先生は書いておられます。
橘についた青虫がぜんぶいっせいに蝶にかえったら、
どれだけ美しくて幻想的だったろう…と。
私もそう思います(^^)


『オオカミの護符』(小倉 美惠子 、新潮社)
これは正確に言うと、去年暮れからお正月にかけて読んだ一冊です。
で、新年一冊目、よい本に巡り会えた!と思っています。

関東地方の、「農」と「山」の関係。
京都に住むより東京に住む月日が長くなって、
武蔵野のことをもっと知りたいと思っていたところに
多くのことを教えてくれる一冊でした。
別にまた『オオカミの護符』のことは書きたいと思いますが、
「住む」というのはほんとうにたいへんなこと。
ご先祖様が育んできた生活について、いろいろ知らなかったことを
教えてくれます。
おすすめの一冊です。

# by youyouhibiki | 2012-02-29 23:47 | 本(下記以外) | Comments(0)
1月に行った美術館
山種美術館 ザ・ベスト・オブ・山種コレクション 後期

お正月の4日に、日本画を描かれるお友だちと行きました。
絵の具のことや日本画のテクニックなども
絵を観ながら教えていただきました。
おかげさまで、ただ見ているだけより、深い鑑賞ができました。

根津美術館 百椿図 椿をめぐる文雅の世界

こちらも京都からの友人と見ました。

森アーツセンターギャラリー 没後150年 歌川国芳展

1月末にちょっと時間がとれたので、大急ぎで行きました。
大胆な構図に何でも描けちゃう技量、そして楽しい猫や金魚の絵。
楽しませていただきました。

大江戸博物館 平清盛展

1月はやっぱり忙しい月ですが、平家物語好き、継ぎ紙ファンの私としては
これを逃すわけに行かない…、というわけで駆け足で。
私見ですが、平家物語は水の物語、あらゆるところで「水」が描かれているように
思います。



水を利して栄え、水の利によって滅ぼされた平家一門と、
今に遺されている絢爛豪華な経典…。

これからのテレビも楽しみですね。

# by youyouhibiki | 2012-02-05 23:57 | 美術 | Comments(0)
二の酉へ
先日、練馬に用事があって行ったら一の酉でした。
練馬の大鳥神社は、路地に囲まれています。
ということは、神社を囲む路地のすべてに屋台が並ぶのですね。
一の酉のときも路地に屋台と人がびっしり。なんて楽しそう!!
でも所用にて立ち寄ることができず、二の酉はぜったい行くぞ!と誓った私でした。

家に帰ると夫にも伝え、カレンダーにマルをつけて待っていた二の酉。いざ出陣!


少し並んでお参りをして、それからあっちの路地こっちの路地の屋台を覗きして
帰りました。

酉の市というと思い出すのは『たけくらべ』。出だしには熊手作りを内職にする
吉原近辺のおかみさんの様子が描かれており、
主人公の美登利がふっつりと自分を周りから閉ざしてしまったのも
酉の市を境にしてのことでした。

  一葉忌 ある年酉に あたりけり

  宵酉の 廓の雨と なりにけり

とは一葉ファンだった久保田万太郎の句。

今日も折から雨が降り出しました。


京都出身の私にはそれほど馴染みのなかった東京の酉の市ですが、
一葉さんがいて万太郎がいて、だんだん思い入れを深くしてきたような
気がします。

  二の酉や東京という風の中  などと以前つくってみましたが、今年は

  路地裏に 滲む灯りや 酉の市  とでも呟いてみましょうか。



                                     (まだまだ三の酉に続く)

# by youyouhibiki | 2011-11-15 00:37 |  連句・歌仙 | Comments(0)
きつね

ご近所(練馬区江古田)にある武蔵稲荷神社の隋神門に狐を見たとき、
推測に過ぎないながらも、ああ、そうか…、と思ったことがあります。

私は、狐は人里離れた人間のいないところに棲んでいて、
人間とは完全に棲み分けをしているのだとばかり思っていたのですが、
そうではなくずいぶん近いところに棲んでいたのだな、ということ、
そしてまた「おいなりさん」と言って親しんでいる「稲荷」とは
「稲」「成り」なのでは? ということ、
刈り取るばかりの田んぼに昔は狐たちが遊ぶという風景があったからこそ、
稲荷と狐が結びついたのでは? ということでした。

『ものと人間の文化史39 狐 陰陽五行と稲荷信仰』(吉野裕子著・法政大学出版局)
は、その直後に読んだ本ですが、狐についてさまざまな事を知りました。

「第一章 狐の生態」:
ここでは、狐の生態について詳しく語られていますが、
狐の雌は発情期になるといっさい食事をとらなくなり、まさに「恋煩い」のようになること、
子育てについてはとても愛情深く育てること、
しかし子別れの季節になると、子に吼えたり噛んだりしてまで
母狐は子どもを遠ざけること……などが、
人に共感を与えたことが書かれています。
狐の顔が、どこか人間に似ていること、またその容姿に気品があることなどによっても
狐に親しみを覚えたようです。
『葛の葉』や、それを下敷きにした岡倉天心の『白狐』などは
こういう狐の生態を観ずしては生まれなかった作品なのでしょう。

また、狐は雑食なので墓場を荒らしたり、
「頭の上に雑草をのせ、体を水中に沈めたまま、鴨の群に近づいて
捕らえたり、兎のそばで苦しそうに転がりまわり、
兎が好奇心をおこして近寄ると、不意にとびついて捕らえたり(平凡社世界大百科事典)」
するなどから、悪賢い、騙す、という性格を持つとされ、
こちらのジャンル?での物語を形成したと考えられるようです。


「第四章 陰陽五行思想と狐」以降は、狐が中国では陰陽五行でいう「土」気であると
考えられていたこと。日本では、秦氏に稲荷信仰があり、また、暦によって水の年には
洪水その他(水気)を制する「土」気を尊んだこと、
土に結びつく黄色、金、などが尊ばれたこと、
陰陽五行により「火は土を生ず」ということから、狐と火が結びついたのではないか、
などということについて書かれています。

ふだん、狐はお稲荷さんの使い、といわれていますが、
著者は、狐そのものが神であり、イナリ=異形(イナリ)なのではないか、という
推論も立てておられます。
このような解説に沿って引用されている狐にまつわる物語も多種多様で、
いずれにしても狐がどれだけ人びとに身近な存在であったかを
知ることができました。


その後、たまたま図書館で手に取った『聴耳草紙』(佐々木喜善著ちくま学芸文庫)には
遠野に語り継がれた狐にまつわる話も多く載せられていて、
現在楽しく読んでいます。

以前にもアップしたように、お稲荷さんにはさまざまな容姿の狐もいて、
これからの散策の楽しみでもあり、きつね・LOVE ♪ な毎日です(^^)。  
           

# by youyouhibiki | 2011-10-22 01:00 | 連句・歌仙 | Comments(2)
芥川龍之介『妖婆』の舞台へ

7月にブログに書いた『江戸東京怪談文学散歩』(東雅夫 角川選書)と
芥川龍之介『妖婆』と両国一つ目界隈(墨田区)ですが、
先日思い立って行ってきました。
これが竪川、一つ目橋近辺。江戸に対してタテに流れているから竪川とか。
川幅約36メートルというのは変わらないようです。

今回、『江戸東京怪談文学散歩』(東雅夫 角川選書)を読み直す時間がなかったのですが、
行きの地下鉄の中で青空文庫『妖婆』を再読しました。

そもそも「妖婆」とは何か? それはこんな妖しげなお婆さんです。

  ところでお島婆さんの素性はと云うと、歿くなった父親にでも
  聞いて見たらともかく、お敏は何も知りませんが、ただ、
  昔から口寄せの巫女(みこ)をしていたと云う事だけは、母親か
  誰かから聞いていました。が、お敏が知ってからは、もう例の
  婆娑羅(ばさら)の大神と云う、怪しい物の力を借りて、加持(かじ)や
  占をしていたそうです。この婆娑羅の大神と云うのが、やはり
  お島婆さんのように、何とも素性の知れない神で、やれ天狗(てんぐ)だの、
  狐だのと、いろいろ取沙汰もありましたが、お敏にとっては
  産土神(うぶすながみ)の天満宮の神主などは、必ず何か水府のものに
  相違ないと云っていました。そのせいかお島婆さんは、
  毎晩二時の時計が鳴ると、裏の縁側から梯子(はしご)伝いに、
  竪川の中へ身を浸して、ずっぷり頭まで水に隠したまま、
  三十分あまりもはいっている――それもこの頃の陽気ばかりだと、
  さほどこたえはしますまいが、寒中でもやはり湯巻き一つで、
  紛々と降りしきる霙(みぞれ)の中を、まるで人面の獺(うそ)のように、
  ざぶりと水へはいると云うじゃありませんか。
青空文庫『妖婆』より


一度妖婆が術をかけた場所では二度と術をつかえない、
ということで川沿いの石切り場は安全、ということになっている。
ここがその石切り場でしょうか? なんでも芥川の頃も今も、狛犬があるそうなのですが、
チェックし忘れてしまいました。orz

  その内にもう二人は、約束の石河岸の前へ来かかりましたが、
  お敏は薄暗がりにつくばっている御影(みかげ)の狛犬(こまいぬ)へ
  眼をやると、ほっと安心したような吐息をついて、その下をだらだらと
  川の方へ下りて行くと、根府川石(ねぶかわいしが何本も、
  船から挙げたまま寝かしてある――そこまで来て、やっと
  立止ったそうです。恐る恐るその後から、石河岸の中へはいった
  新蔵は、例の狛犬の陰になって、往来の人目にかからないのを
  幸(さいわい)、夕じめりのした根府川石の上へ、無造作(むぞうさ)に
  腰を下しながら、「私の命にかかわるの、恐しい目に遇うのって、
  一体どうしたと云う訣(わけ)なんだい。」と、またさっきの返事を
  促しました。するとお敏はしばらくの間、蒼黒く石垣を浸している
  竪川(たてかわ)の水を見渡して、静に何か口の内で祈念している
  ようでしたが、やがてその眼を新蔵に返すと、始めて、嬉しそうに
  微笑して、「もうここまで来れば大丈夫でございますよ。」と、
  囁くように云うじゃありませんか。新蔵は狐につままれたような
  顔をして、無言のままお敏の顔を見返しました。それからお敏が、
  自分も新蔵の側へ腰をかけて、途切(とぎ)れ勝にひそひそ
  話し出したのを聞くと、成程二人は時と場合で、命くらいは取られ
  兼ねない、恐しい敵を控えているのです。 
青空文庫『妖婆』より


一つ目橋(元・一の橋)から二つ目橋(二の橋)まで歩いたのですが、
一つ目橋の向こう側にあった江島杉山神社。ここは、
鍼灸師として名を馳せた杉山検校を祀った神社。というばかりでなく
ご覧のようなナゾの洞穴が…。恐る恐る入る私。。

そして私がその中で見たものは……。。


ネタばれになるので申しません。申しませんが、ふふっ、
龍之介もきっとこの洞窟の中のあれを見て、『妖婆』のストーリーを
膨らませたんだろうな。。と思わせるあるものと出会いました。

興味のある方はぜひ『妖婆』を読み、この洞窟へ行ってみてくださいませ。
(もしかして、『江戸東京怪談文学散歩』(東雅夫 角川選書)に
書いてあったかしらん。。)


芥川は大正・昭和に残る江戸を描き、私は芥川の大正・昭和を探し歩く。
ちょっと不思議な気分のときに見つけたスカイツリー。。

江戸も明治・大正・昭和も平成も、探せば見つかるこの土地で、
新しい物語がまた生まれるよね、きっと…、そんな思いにさせてくれました。

# by youyouhibiki | 2011-10-15 18:16 | 芥川/片山廣子 | Comments(0)
12番・43番・53番・59番・47番

体育の日の一昨日、北区滝野川近辺のお寺をまわりました。
二年前の3月にはじめた豊島辺路88箇所の旅も、
そろそろ終盤近くなりました。
今回まわったお寺が下記の通りで、
残すは北区豊島近くの2寺と、新宿近くの2寺のみです。
(まわったけどブログに載せていないお寺もあります)

12番 南照山 観音院 寿徳寺 北区滝野川4-22-2

43番 滝河山 松橋院 金剛寺 北区滝野川3-88-17

53番 明王山 不動院 北区西ヶ原3-23-2

59番 仏法山 西光院 無量寺 北区西ヶ原1-34-8

47番 平塚山 案烙院 城官寺 北区上中里1-42-8

上のイチョウは、12番寿徳寺のもの。
そのむかし、皮をご飯に炊き込んで食べると母乳が出ると言われていたためか、
皮が削られています。
このお寺には近藤勇のお墓もありました。


自転車でまわりながら、秋を満喫。
終るのが惜しいような嬉しいような…。

写真はこちらにも載せています。
# by youyouhibiki | 2011-10-12 09:10 | 花遍路 豊島八十八箇所 | Comments(0)
狐と鶴
一昨日はお天気が少し心配でしたが、いつもより早め(午前10時半)に出て
北区から荒川区の88箇所をまわりました。

我が家から環七に入り、十条付近で右に。
王子の金輪寺は、王子稲荷神社が左側、名主の滝公園が右側にあり、
つまりそこは小高い山みたいになっています。
(55番 王子山 金輪寺 北区 岸町1-12-22 )

王子の、この近くの榎に大晦日になると狐が集まり、
装束を調えて王子稲荷神社に初詣をした、という伝説があり、
今はもう榎はありませんが、毎年大晦日になると、
狐に仮装した大人や子どもの行列があります。
これは、平成になってから出来たお祭りだそうですが、、
年々参加者も増えてとても楽しそうです。
youtube動画

そのあと、
75番 金輪寺境外仏堂 北区 王子本町1-5-17 経由で
あらかわ遊園地の隣にある
57番 白王山 福性寺 北区 堀船3-10-16  へお参り。
遊園地の賑やかな声が聞こえてきます。
荒川はすぐ近くなのに、見えないもどかしさ。
そうだ、荒川 行こう!

予定より少し遠回りでしたがそこは自転車の気楽さで、ちょっと寄り道。
いいなぁ、川は…。小さな花、ススキ、犬と散歩する人…。
我が家近くでは外来種のオオマツムシが幅をきかせているのですが、
聞こえてくるのはやさしい虫の声…。

このあと、ふたたび戻って

44番 舩方山 地蔵院 延命寺 北区 堀船4-10-12
20番 金光山 宝珠院 地蔵寺 霊雲寺 荒川区 西尾久3-10-6
68番 金亀山 地正寺 宝蔵院 荒川区 西尾久3-16-19
54番 大悲山 観音寺 華蔵院 荒川区 東尾久8-46
63番 阿遮羅山 蓮華寺 阿遮院 荒川区 東尾久3-6-25
65番 慈眼寺 荒川区 町屋2-20-12
83番 瑞光山 如意寺 密厳院 荒川区 荒川4-16-3
6番  観音寺 荒川区 荒川4-5-1
と、まわりました。
お寺とお寺の間隔がそれほどでもないので、自転車だと特に多くまわれました。

一番さいごに行った観音寺に、このような看板がありました。
鶴がこの地にいたなんて…。
餌付けしていたなんて…。
 
狐がいて鶴がいて、「別天地」とはまさにこのこと?

などと思いながら、帰路につきました。

 

道中写真はこちらにアップいたしました→
EAST OF THE SUN AND WEST OF THE MOON  9月19日豊島88箇所道中
# by youyouhibiki | 2011-09-21 20:39 | 花遍路 豊島八十八箇所 | Comments(0)
むかし行ったところ
私がフランスに滞在したのは、今は昔の1976年8月から1977年8月にかけてでした。
京都で我が家にお泊めしていたフランス人留学生ローランス(女子)が帰国するとき、
  「あー、私もパリに行きたいなぁ」
とつぶやいたのがきっかけで、
  「どうぞどうぞ、今度はうちに泊まって」
ということになり、パリ15区に住む彼女一家のアパルトマンに
住まわせてもらいました。
さまざまなことが重なって、その一年は
旅行運が人生最大のピークであったように思います。
  (そのときどうやら旅行運を使い果たしてしまったらしく、
  その後一度も外国へは行っていません。)

ちょうど1年半お勤めしたあとだったので多少貯金があり、
日本で1年間のオープンチケットを買ったのと、
ユースホステルの会員証とユーレイルパスを購入、
パリを拠点にあちらこちら行きました。

着いた8月はそのパリのご一家、「バカンスでいません」、
ということだったので、一ヵ月間は南仏のモンペリエ大学で語学講座を受けつつ、
南仏のアルビ、トゥールーズ、ニース、サントロペ、モナコなどへ行きました。
それから、10月にはドイツ・ベルギー・ウィーンへ。12月にはロンドンへ。
あくる年の3月にはスペインへ。どれも超貧乏旅行でしたが、どれも楽しかったです。

そして、5月に母が遊びに来たので、一緒にローマへ行き、
そこからウィーンへ直行の国際列車がで行きました。
そういえば、ローマではホテルの部屋の外に鍵を付けっぱなしで寝てしまった
なんてこともあったのですが、なんだか無事でした。

ウィーンには、母の知り合いの奥様がご主人T氏の転勤で住んでおられました。
  「どこか行きたいところはありますか?」
とおっしゃったので、一日目はウィーン市内見物に決定、そして二日目は、
  「難しいかもしれませんが、ハンガリーに行ってみたい」
とお願いして、T氏の車でウィーンに近いハンガリーの国境を
越えることとなりました。
実はその前の年に親友がポーランドを旅行しており、
共産圏の国に行ってみたい、という気持ちがあったのです。

こうして、5月のうす曇りの日曜日、朝早くにウィーンを出て、
ハンガリー国境を目指しました。何というところへ行ったのか、
まったく覚えていないのですが、さっき地図を見て、おそらく
hegyeshalomホグイェズハロムだったのでは?と思います。

お昼前に国境に到着、検問所があり、パスポートを見せます。
当然のようにだいぶ長いこと待たされるので、外を見ていたら、
「ほら、あの人、あなたのことをジーっと見ているわよ。」と母。
振り返ると、検問窓口の軍服を着た30歳くらいの男性が、
たしかに私をジーっと見ています。
お愛想笑いをしてハローなどと言ってみるのですが、
表情一つ変えず、あいかわらず私を見つめるだけです。
いったい何を考えているのか、ひたすら凝視しているわけで、
そのうちこちらが苦しくなってまた外の方を向いてしまいました。

その後、入国の許可が下りて、町(村と言ったほうがよいような)に入るのですが、
人がまったく出ていない。
畑だか牧場だか緑が多くて、ポツリポツリと家はあるのですが、
まるで村は眠ったようでした。
「今日は日曜日だからでしょうね。」とT氏。
村は少し丘陵っぽくなっていて、あちらこちらにコクリコが咲いているのですが、
それも小さくて色も褪せた感じで、可愛いというよりも淋しそうに見えました。

さらに村の中に入っていくと、レストランがあり、遅めの昼食をとりました。
ほかに客といえば、軍服を着た4~5人連れのみ。
T氏が「カメラは向けないほうがいいですよ」とこっそり耳打ちされます。
カメラは持っていったのですが、その前から、何かトラブルになっても…と
思って、一枚も撮ってませんでした。ましてそのレストランでも…。

食事は、パプリカ入りのシチューのような、いかにもハンガリー料理っぽい
感じでしたが、緊張していたのか、味をまったく覚えてません。
おいしかったのかどうかも、記憶にありません。

と、店のご主人がゲストブックを持ってきて、どうやらサインしてほしい、
ということらしい。見ると、外国から来た人たちのサインが。
日本人の字もありました。
日本で見ていた旅行番組…世界中をバスで旅行する、という…のバスが
数ヶ月前に通ったようでした。
母がコクリコの絵を描いて、T氏と私が何か書いて。
外国人が珍しいんやな…って思いました。

食事が終ると、もう見るところもなく、今度は待たされることなく国境を越え、
帰路につきました。

滞在時間わずか数時間。ハンガリーの記憶というと以上がすべてですが、
ともかく緊張していた数時間でした。
国境を越えてオーストリアに戻ったときは、やはりホッとしました。


さてところで、日本に帰ってからしばらくして、
アゴタ・クリストフの『悪童日記』が翻訳され、
読んだ友人が「素晴らしい!」を連発していましたが、
私はずっと読まずにいて、つい数年前に読み、
続編というべき『ふたりの証拠』『第三の嘘』まで一気読みしてしまいました。

それからしばらくして、ふと、『悪童日記』に出てくる国境の町が
私が行ったところだったのでは?と、思いましたが、
本の注によるとそれはクーセグであるらしい。
検索などで見ると、私が行ったところより、
クーセグはもっと大きな町であるらしいのですが、
アゴタ・クリストフはわざと町の名前は出していない。
国の名前でさえも。

あるいはまた、『悪童日記』は戦争にまつわる話だけど、
『第三の嘘』では意外などんでん返しが待っていて、
戦争ばかりではない現代人の持つ心の闇が描かれている。
『悪童日記』を読んですごいと思ったけど、
『第三の嘘』まで読むと、もっとすごいと思います。
先日(7月27日)、アゴタ・クリストフが亡くなり、いろいろなことを考えました。

それから、あの黒い瞳のハンガリー人のことも。
今なら少し理解できるかもしれない、表情をまったく変えずに生きるという術を、
その国の歴史とともに…。

 
# by youyouhibiki | 2011-09-17 19:51 | 本(下記以外) | Comments(0)
とんでもなく役に立ちました!

『とんでもなく役に立つ数学』(西成活裕、朝日出版社)
書評が出ていて面白そうだったのと、
タイトルにつられて読みました。
「ほんとだな、ほんとに役に立つんだな」なんて、思いながら(^^)。

そして結果は……?

はい、ほんとうに役に立ちました。
今年度読んだ本のベスト1くらいになるかと思います!
                    >最近あまり本読んでないのはナイショ

教科書からリアルな世界へ。わかりやすくて誰でも使える!
本書は、「数学で世界をより良くしたい」と本気で考え、
実際に取り組んでいる東大教授・西成活裕が、高校生とともに、
数学を使って世の中の問題を解決していこうと、アイディアを展開していく
4日間の授業を収録したものです。

スローモーションで未来を予測する、
人間の複雑な行動をシミュレーションする、
身の回りのイライラ渋滞、人間関係のトラブル、
300万人メッカ巡礼の事故に立ち向かう--、
そんな"教科書からリアルな世界へ飛び出した、
数学の世界"をご案内します。

楽しくイメージをつかめる、大事なことだけ頭に残る解説。

公式が大事、無機質で機械的......そんな数学のイメージが
ガラリと変わります。

amazonの解説にはこのように書かれておりますが、
数式などのいわゆる「数学的」なところは最後のほう、
けっこう飛ばして読んでしまった。
だけど、考え方の道筋とか、そういうところがとても詳しく書かれいて、
ものすごく目からウロコだった。
人が何をどう考えてどう行動するか、ってのは案外分からない。
そこのところを、うんと分かりやすく教えてもらった、という感じかなぁ…。
そして、数学者・西成先生の考え方を知るにつれて、
自分自身を深く反省いたしました。

たとえば、私だったら「分からない」で片付けていることがいっぱいあるし、
「そんなのムり」とかすぐ思うし、だけどそれって

  考えてないんだよ、ちゃんと!!

ということに気づかせてくれました。


本を読んだあと、西成先生のhpなどを拝見して、
本の最後の方に書かれていた「ムダどり学会」なるものを知り、
う~ん、面白そうだから参加してみようかなぁ……。
# by youyouhibiki | 2011-08-28 22:38 | 本(下記以外) | Comments(2)
17番長命寺・46番教学院
急に涼しくなった昨日、自転車を走らせて大泉学園の方に行きました。
17番長命寺は、たいへん大きなお寺で、江戸時代から参拝者が多かったそうです。
入って左には、このような奥の院があり、「東高野」として霊場になっています。

天保4年の仏さま。掌(たなごころ)が厚くてゆったりしたお顔。
帰って調べましたら、あの有名な天保の飢饉は、この年(=1833)に始まり、
天保10年まで続いたそうです。
良寛さんが亡くなったのが天保2年、鼠小僧次郎吉が処刑されたのが3年、
天保8年ヴィクトリア女王即位、モリソン号事件、モールス有線電信機を発明…、などなど。
明治維新ももうすぐの頃の仏さまなのですね…。

そしてこちらは「姿見の井」。この井戸に顔を映すと長生きするとか…。

姿見の井の横の石碑。文字の感じからして江戸時代に建てられたと思うのですが、
石の切り出し具合と文字の按配がいいなぁ。

実は入ったのが東門という小さい門でしたので、
正面の南大門に近づいてみました。すると、門の前後左右にいらっしゃる四天王、目がぱっちり。
写真は多聞天なのですが、どこか鉄人28号に通じるものが……。w
17世紀後半の作だそうです。


可愛らしい菩提樹の実。このあと、大泉学園から東の方にある46番教学院をお参りし、
帰りは高野台から石神井川沿いに帰ってきました。
雨が降らなくてよかったです。やっぱり自転車はいいなぁ…。

# by youyouhibiki | 2011-08-21 12:04 | 花遍路 豊島八十八箇所 | Comments(0)
夏の門
さっきから佇んでいたのは、山門の前。
私はそこを、入ったものかどうしようかと迷っていた。
「拝観謝絶」と、木の板に達筆な文字で大書されているのを見ると、
たとえ以前、庭師のおじいさんに「お参りならかまいませんよ」
と言われていたとしても考えてしまう。

とそこへ、作務衣を着たお住職と思しき方がひょっこり出てこられ、私に気づかれた。
お住職も私にびっくりされたようだが、その目は明らかに
「当寺に何かご用かな?」と問うておられる。

いったい何と言うべきか? 
私を責めて言っておられる訳ではないのだが、
一瞬、いたずらを見つかった子どものように焦ってしまい、
思わずこのように答えていた。

 「せ、蝉時雨を聴いておりました…」

我ながら気障である。茶坊主か?と自分にツッコミを入れたくなる。
が、同時にそれは事実でもあった。
杉の木立のそこここから、蝉の鳴き声が降るように聞こえていた。

と、お住職は身体を一歩後退させ、「どうぞこちらへもお入りください。
ここに入ってはタバコの吸殻を捨てる人も多いのでこのように書いていますが、
声を掛けて下さればいつでもお入りいただいてかまいませんよ」
と、中に招いてくださった上、
「ここは5時くらいから開けているのですが、
早朝などは特にいいですよ」とも。

というわけで、ちょっとびっくりしたけれど無事にお寺を拝観した私。
後になってつくづく思うのは、説明する(=正確に話す)ことだけが
最良の道じゃないってこと。
とんちんかんな答えにこそ、閉ざされた門を開く鍵がある、ってこと……


という締めくくりでいいだろうか?


あ、でも俳句や詩ってもしかしたらそういうものかもしれない……。

# by youyouhibiki | 2011-08-17 23:21 | 旅・散歩(下記以外) | Comments(0)
『長崎の鐘』初版本

『長崎の鐘』 永井 隆著、日比谷出版社、昭和24年1月30日発行
『この子を残して』 永井 隆著、大日本雄弁会講談社、昭和24年2月15日発行

初版本をわざわざ買う趣味はないのですが、
『長崎の鐘』だけは初版本を見たいと思っていました。
そしてある年の西武デパート古本市で見つけました。210円。カバーなしです。




原爆投下とその直後の長崎の様子を、放射能に詳しい医師・永井博士が書いた本です。
GHQの出版許可が下りませんでした。
そして、昭和24年になってやっと、

  「マニラの悲劇 Japanese Atrocities in Manilla
   連合軍総司令部諜報課
   Military Intelligence Division Supreme Commander
   of The Altied Powers」

という、日本軍のマニラでの行為を書いた報告書(写真入り)を
後半三分の一に載せるという、「抱き合わせ」のかたちで出版されました。

その後、『長崎の鐘』はベストセラーになるのですが、
同時に、「アメリカと妥協した」とも非難されるようにもなり、
また、カトリック教徒・永井隆の
  「原子爆弾が浦上に落ちたのは大きな御摂理である。」
という立場が、その後の政治運動の中で非難されることにも
なっていきました。

そのあたりのことは、こちらのサイトに詳しく書かれています。

こういう問題は、難しいです。ですが私は、
『神と科学は共存できるか』(グールド、日経BP社)を読んで、
得心するところがありました。
グールドは、科学と宗教が、重なりあわず独立して存在しているが、
そのうえで互いに尊重すべき知的体系という関係にある、とみなした上で、
そもそも科学と宗教を「対立構造」に見立てることそのものが間違いであり、
愚かしい、と主張します。
         (同書、日経BPサイトより

この本(『神は~』は、たまたま組版をさせてもらったのがご縁で読ませていただいた
本ですが、私のものの考え方に大きな影響を与えました。


多くの著作を、白血病の身体をおして書き上げた永井博士はというと、
「印税で桜の木を植えてほしい」と遺言され、
今も春になると「永井千本桜」と呼ばれる桜が見事な花を
咲かせているのだそうです。
花に託された博士の願いが何であったのか、
きっと今も花が語ってくれていると思います。


さて、話は変わります。
私には大叔母(父の従姉)があり、今も88歳くらいで健在。
カトリック修道院に若い頃入った「シスター」で、今は鎌倉の修道会に
身を寄せています。

去年、その大叔母をお見舞に行ったとき、たまたま『長崎の鐘』の話が出ました。

大叔母は、戦後まもなく、マニラの修道院に派遣されました。そして大叔母曰く、

  「ちょうど行く前に『長崎の鐘』が出て、その中にあった「マニラの悲劇」を
  読んでいたからよかったの。
  修道院だから、あちらのシスターたちも何もおっしゃらないんだけど、
  英語の先生(男性)は、明らかに日本刀で切られたみたいに左腕がないし、
  露骨ではないけれど日本人にはよそよそしくて、ああ、これはやっぱり
  「マニラの悲劇」みたいなことが…って、実際に思って…。
  だからあの本を読んでからマニラに行って、ほんとうによかった。
  そしてね、そうこうするうちに…。」

と言いながら、大叔母が手を振り上げたので、机の上の麦茶がこぼれ、
話は中断、そのまま別の話になってしまった。

おそらく、どういう経緯からは知らないけれど、マニラのシスター方と
大叔母の心の垣根は、次第に消えていったのだと思います。
それがどういう経過でなのか、そこを知りたいと思っているのですが、
目下のところ分かりません。


近いうちにまた、大叔母のお見舞に鎌倉に行こうと思うこの頃です。



合掌
# by youyouhibiki | 2011-08-08 08:13 | 本(下記以外) | Comments(2)
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