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備忘録 (5)

またもや遠藤周作話です。
彼の生前、影響を受けた何人かの作家がカトリックの洗礼を
受けました。
そのうちの誰の話だったかは覚えていないのですが、
こんなことを書いていたのを、妙に覚えています。

「カトリックの洗礼を受けて、なにが困ると言って
『奇跡を信じているのか?』ときかれることほど困ることはない。
カトリックの神学、宗教哲学、それらは理路整然としていて
いかにも科学的なのに、最後には奇跡が出てくるんだから…。」

そして、今の私も同じことを考えています。
布教のために無料の雑誌をつくり、その発行部数は毎年うなぎのぼり、
最近の印刷機とシステマティックな修道会経営…。
それだけなら、そうとうな成功譚です。

あるいは、ひとりの神父がいて、アウシュヴィッツで
ほかの死刑囚の身代わりになった。キリスト教では
「汝の隣人を愛せ」と言われている、まさにそれを身をもって
実践したのだ。となると、多くの人がなるほど、と思うでしょう…。

が、コルベ神父の伝記を読むと、それだけでは納らず、
奇跡だとか、殉教とか、そういった話が登場します。

     *

マキシミリアン・コルベ神父は1894年1月8日に
ポーランドで生まれました。
マキシミリアンという名前は神父になったときに付けられた名前で、
幼名はライモンドと言います。
熱心なカトリック信者である両親に育てられましたが、
ライモンド少年は、とても腕白だったようです。あるとき母が
「こんなにいたずらばかりして、いったいこの子はどうなるのかしら」
と嘆いたことがありました。自分でも不安になったライモンドは
教会に行き、聖母マリアに尋ねながら祈りました。
「ぼくはいったいどうなるのでしょう」と。

すると聖母が現れ、白い冠と赤い冠を見せてどちらがほしいかと
聞きました。
白い冠は純潔を、赤い冠は殉教のしるしだと言われたので、
「両方ほしい」というと、マリアはにっこり微笑んで
消えてしまいました…。

それが夢だったのか幻覚だったのか、あるいはほんとうの
ことだったのか、それは誰にも分かりません。
が、コルベ神父はそのときから以前の腕白な少年ではなくなり、
つねにイエスと聖母マリアを胸に抱く生活をはじめることになりました。
(このことを彼は母にだけ打ち明けました。)

就学する頃になると、彼を援助する人が現れて学校に行くことが出来、
やがて神学校に入ることになります。
ロシア領(=ロシア正教)に住んでいた彼は、密出国をして
オーストリア領(=カトリック)に行き、そして神学校に
入学しました。マクシミリアン(マキシミリアノ)という名前をもらい、
以後マクシミリアン・マリア・コルベと名乗ります。

ポーランドが他国によって統治されているという現実の中、
愛国心に燃える彼は、自分を軍隊の指揮官だと想像して
いろいろな戦略を練るのが好きだったそうです。
数学や科学が好きな少年でもありました。
晩年、チェスがとても得意だったというのも、このエピソードに
通じることかもしれません。

そしてある日、ポーランド統一のために軍人になろうと決意し、
神学校の長(=管区長)にその決意を打ち明けに行きます。
ところが故郷から母がやってきて管区長とちょうど話を
しているところだといいます。いったいどうしたことかと思って
母に会うと、母は「自分と夫は修道院に入ることを決意したので、
そのことを知らせに来た」と言います。

すでにライモンドとその兄が修道士、そして今回弟も修道院に
入ったので、自分たちも安心して修道生活ができる、
と喜ぶ母に、とても軍隊に入る、などとは言えず、
彼は軍隊に入ることを断念します。
しかし、それを神が示した道だと感じ、修道士として
一生を送ることを決意しました。

(その後第一次世界大戦がはじまると、兄と父は修道院から出て
銃をとり、兄は何度も負傷、父は捕らえられて絞首刑となっています。)

1912年に18歳でローマの神学校に入り、1914年に、
終生を修道士として過ごすことを誓う「盛式誓願」を立てます。
当時のローマではフリー・メイソンの活動がさかんで、
「悪魔がバチカンを支配せよ」などという旗を振って
反カトリック運動をしたようです。それに対して彼は、
「祈りつつ」「聖母マリアの不思議のメダイを配る」信徒の会
「汚れなき聖母の騎士信心会」を仲間と設立します(1917年、
当時23歳)。

不思議のメダイ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%80%E3%82%A4
(コルベ神父はこれを「聖母の弾丸」と呼んでいたそうです。)

『コルベ神父 アウシュヴィッツの死』にはこのように書かれています。

「聖母の騎士会を生み出す触媒の働きをしたのは、
神を冒涜するフリー・メイソンのローマでの運動のように
思えるかもしれないが、戦争というもっと広い範囲での
憎しみが存在していたために、この運動の大きな目的が
たてられたのだと考えてよいだろう。

平和と愛の福音の証人を募ることによって戦争と憎しみとに
反対しようとしたマクシリアノという一人の無名の修道士の姿勢こそ、
この運動を象徴していたのであり、かれのモットーは、
常に『限りない愛』というものであった。」

その頃、神父は肺結核にかかります。1919年には哲学博士、
神父となり、ポーランドに帰国しますが、27歳のとき
片肺を切除します。しかし病状はさらに悪化。
医師からはあと一年も命はないと言われながらも、神父は
何年も何年も生きながらえました。
1922年、28歳のときに「聖母の騎士」誌を創刊。

ポーランドでの修道院の拡大、しかしその立場に安穏とすることなく
1930年に日本に来ました。(日本滞在中は、インドでも
『聖母の騎士』を発行することを試みていますが、
それは実現しませんでした。)

日本を去る前にコルベ神父は、自分がやがて殉教するであろうことを
仲間にほのめかしていたそうです。そして1936年に、
本国の修道会に呼ばれて帰国し、自分が創設した修道院の長に
選ばれました。戦争がポーランドを覆い始めた、
ちょうどその頃のことでした。

コルベ神父の言葉です。

「自分のために何かを願うのではなく、他の人びとのためにだけ
願いなさい。つい自分のために祈ってしまうのであれば、
忍耐強く仕事ができますようにと無原罪の聖母に祈りなさい」

     *

参考文献
『コルベ神父 アウシュヴィッツの死』ダイアナ・デュア著 時事通信社
『コルベ神父物語』曽野綾子著 聖母の騎士社
『アウシュヴィッツのコルベ神父』マリア・ヴィノフスカ著 聖母文庫
『ながさきのコルベ神父』『身代わりの愛』小崎登明著 聖母の騎士社
『原子野録音』永井隆著 聖母の騎士社
『ゼノ死ぬひまない』松居桃樓著 春秋社
『イオネスコによる「マクシミリアン・コルベ」不条理から聖性へ』クロード・エスカリエ著
聖母の騎士社
『夜と霧』フランクル著 みすず書房

     *

補遺:
『ゼノ死ぬひまない』(松居 桃楼)によると、
聖母の騎士会の会則には、「聖会に仇(あだ)するもの」のためにたたかう、
とあるという。
フリー・メイソンのみならず、神を否定し、他の価値観を信じる人たちに対して
「騎士」となって聖母のためにたたかうという、
強い意志が「聖母の騎士会」という名前には込められていると思う。
追記:私自身は、聖ベルナデッタがいたヌヴェール会系の学校で育ったので、特にルルドの奇跡は無条件で信じています。
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by youyouhibiki | 2012-08-14 22:40 | 備忘録 | Comments(0)


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