カテゴリ:詩歌(下記以外)( 38 )

詩人高橋睦郎さんに会いに

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「仏界入リ易ク魔界入リ難シ」  一休
あるいは
「本当の詩人はその愛によって地獄の岸部まで下りていく」  リルケ

そのような魔界に、自分も入るためにだけ生きてきた、と。

エリオットは、
「五百年前の詩人、千年前の詩人と対話できるか」
「思想の香りを薔薇のようにかぐことができるか」
と問うたという。
死者との対話。
折口信夫は、おそらくそれが出来た詩人。
おそらく、その詩人も。

さまざまな形式の詩歌を作ることについて:
日本では古典芸能、さまざまな舞台が、断層のようになって
すべて残っている。
たとえば世阿弥の言葉や思いを、実際演じる人の声や仕草を通じて
聴くことができる、幸い。

孤独な生い立ち、投稿少年、東京に出てきて、
落語、歌舞伎、文楽などをたくさん見たこと。
投稿は、短歌、俳句、作文などすべてやったこと、
なので形式に対する壁は感じない、
それぞれの形式を、それぞれの時代の正しい言葉で
現したい。
ただし、短歌と俳句はモードが違うので、
自分の中で少し操作をしなくてはならない、とも。

生と死、愛と恨み=人生
「在るかないかが分らないことだけが確かである」(ボルヘス?)
「本当にここに在るのか」
「生きていることの不確かさと死の確かさ」
「死者を考えないと詩は書けないのではないか」
「生きていることは甘美であるが、甘美であるのは不安があるからこそ」
「詩をつくるとき、一寸先が見えないほうがいい。とんでもないところに
行きつくのが詩」
鴎外の『於母影』、漢語と和語の使い方のバランス
 (鴎外は、欧州の詩を漢語に訳し、それを日本語に訳した)
「現代の詩は散文詩になりやすい、は想像力の低下ではないか」
「書きたいものそれぞれにふさわしい文体を持つ。一篇ごとに文体を持つ」

「詩は書くものではなく、書かされるもの。
向うから来たものを、最高にもてなすのが詩というもの。
もてなすために自分を鍛える」

ほかに話に出た人:高安国世、富士川英郎、
蒲生有明、田村隆一、川端康成、三島由紀夫、ヴァレリー、
ボルヘス、土井晩翠、芭蕉 など

『続続・高橋睦郎詩集』(思潮社)では、
対談などでこれらのことについて詳しく語られているようです。

以上は、私の聞き書きメモです。


追記:
私の質問は、
「連句と言う共同作業の文芸は『魔界』とはほど遠い気がするが、
とは言え芭蕉は連句でしのぎを削っていたわけで、
ご自身ではどのようなお考えを連句に対して持っておられるか?」と。

それに対しては、
「連句は日本の文芸の至れるかたち。
共同作業と反共同作業を
同時に行わなくてはならない。
連衆が必要になり、それは楽しいことであるが、
同時に問題も出てくる。つまり、命がけでやろうとすると
趣味の領域を超えてしまうだろう。
自分は、今回の詩集にも載せているが、
自分の中にそれぞれの人格をつくって
独吟をやってみた。
趣味を超え、命がけでやってみるのも
よいかもしれない」

また、別の方の質問は聞きそびれたが、
現代の言葉について、ヘイトスピーチについて、
という内容だったと思う。それに対して:
「ヘイトスピーチを現代の言葉としてとらえるべきではないのではないか、
人間としての、もっともっと根源的なこととしてとらえるべきではないか。
それでなければ、逆に上っ面なことに終始してしまうと思う」と。
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by youyouhibiki | 2015-01-14 00:30 | 詩歌(下記以外) | Comments(0)

パウル・ツェラン

大人になってから、仕事をするようになってから
外国の詩はほとんど読んだ事がありませんでした。
パウル・ツェランについては名前と詩人であるということしか知らず、
どこの国の人で何語で詩を書いて、どのような境涯だったのかを
知らなかったばかりか、一節の詩も読んだことがありませんでした。

先日、パウル・ツェランの詩の朗読を聞く機会があり、
その後パウル・ツェランの詩集その他を図書館で借りて
読んだのですが、正直なところ辛さが先行。
どんなところが辛かったのかは
文章にすると散漫になりそうなので、
詩のように書いてみました。


 パウル・ツェランへ
 

あなたの詩を読むのは辛く苦しい。
(ひりひりと灼けつく痛み――)
傷ついているのは詩、
ではなく言葉、
でもなく音あるいは振動。
  
Wann, wannwann,
Wahnwann, ja Wahn, ―
咆哮のようにあなたは書く。
Rot, rot, ja zehr rote Rosen, ―
未知の言葉で私も呟こうとする。
  
抉(えぐ)られ、血が滲んでいるのは薔薇、
ではなく言葉。
――和解するより早く血は溢れ出し、
やがてあなたはそこで溺死する。
(セーヌ川は暗喩でしかない)

あなたの詩から抜き出した活字で、
喪章には[fragile(取扱注意)]と印し、
心臓の上に貼る。せめて目立つところに、
過去の傷痕のために、 
これ以上傷痕を傷つけないために。



Wann, wannwann,
Wahnwann, ja Wahn, ―
いつ、いついつ、
いいついつ、そう、狂念
(パウル・ツェラン「huhediblu さくそはな」飯吉光夫訳)
Rot, rot, ja zehr rote Rosen, ―
赤い、赤い、そう、とても赤い薔薇
(のつもりです。違っていたら教えてね)

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by youyouhibiki | 2012-08-23 00:18 | 詩歌(下記以外) | Comments(0)

二の酉へ

先日、練馬に用事があって行ったら一の酉でした。
練馬の大鳥神社は、路地に囲まれています。
ということは、神社を囲む路地のすべてに屋台が並ぶのですね。
一の酉のときも路地に屋台と人がびっしり。なんて楽しそう!!
でも所用にて立ち寄ることができず、二の酉はぜったい行くぞ!と誓った私でした。

家に帰ると夫にも伝え、カレンダーにマルをつけて待っていた二の酉。いざ出陣!

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少し並んでお参りをして、それからあっちの路地こっちの路地の屋台を覗きして
帰りました。

酉の市というと思い出すのは『たけくらべ』。出だしには熊手作りを内職にする
吉原近辺のおかみさんの様子が描かれており、
主人公の美登利がふっつりと自分を周りから閉ざしてしまったのも
酉の市を境にしてのことでした。

  一葉忌 ある年酉に あたりけり

  宵酉の 廓の雨と なりにけり

とは一葉ファンだった久保田万太郎の句。

今日も折から雨が降り出しました。


京都出身の私にはそれほど馴染みのなかった東京の酉の市ですが、
一葉さんがいて万太郎がいて、だんだん思い入れを深くしてきたような
気がします。

  二の酉や東京という風の中  などと以前つくってみましたが、今年は

  路地裏に 滲む灯りや 酉の市  とでも呟いてみましょうか。

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                                     (まだまだ三の酉に続く)
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by youyouhibiki | 2011-11-15 00:37 | 詩歌(下記以外) | Comments(0)

きつね

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ご近所(練馬区江古田)にある武蔵稲荷神社の隋神門に狐を見たとき、
推測に過ぎないながらも、ああ、そうか…、と思ったことがあります。

私は、狐は人里離れた人間のいないところに棲んでいて、
人間とは完全に棲み分けをしているのだとばかり思っていたのですが、
そうではなくずいぶん近いところに棲んでいたのだな、ということ、
そしてまた「おいなりさん」と言って親しんでいる「稲荷」とは
「稲」「成り」なのでは? ということ、
刈り取るばかりの田んぼに昔は狐たちが遊ぶという風景があったからこそ、
稲荷と狐が結びついたのでは? ということでした。

『ものと人間の文化史39 狐 陰陽五行と稲荷信仰』(吉野裕子著・法政大学出版局)
は、その直後に読んだ本ですが、狐についてさまざまな事を知りました。

「第一章 狐の生態」:
ここでは、狐の生態について詳しく語られていますが、
狐の雌は発情期になるといっさい食事をとらなくなり、まさに「恋煩い」のようになること、
子育てについてはとても愛情深く育てること、
しかし子別れの季節になると、子に吼えたり噛んだりしてまで
母狐は子どもを遠ざけること……などが、
人に共感を与えたことが書かれています。
狐の顔が、どこか人間に似ていること、またその容姿に気品があることなどによっても
狐に親しみを覚えたようです。
『葛の葉』や、それを下敷きにした岡倉天心の『白狐』などは
こういう狐の生態を観ずしては生まれなかった作品なのでしょう。

また、狐は雑食なので墓場を荒らしたり、
「頭の上に雑草をのせ、体を水中に沈めたまま、鴨の群に近づいて
捕らえたり、兎のそばで苦しそうに転がりまわり、
兎が好奇心をおこして近寄ると、不意にとびついて捕らえたり(平凡社世界大百科事典)」
するなどから、悪賢い、騙す、という性格を持つとされ、
こちらのジャンル?での物語を形成したと考えられるようです。

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「第四章 陰陽五行思想と狐」以降は、狐が中国では陰陽五行でいう「土」気であると
考えられていたこと。日本では、秦氏に稲荷信仰があり、また、暦によって水の年には
洪水その他(水気)を制する「土」気を尊んだこと、
土に結びつく黄色、金、などが尊ばれたこと、
陰陽五行により「火は土を生ず」ということから、狐と火が結びついたのではないか、
などということについて書かれています。

ふだん、狐はお稲荷さんの使い、といわれていますが、
著者は、狐そのものが神であり、イナリ=異形(イナリ)なのではないか、という
推論も立てておられます。
このような解説に沿って引用されている狐にまつわる物語も多種多様で、
いずれにしても狐がどれだけ人びとに身近な存在であったかを
知ることができました。

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その後、たまたま図書館で手に取った『聴耳草紙』(佐々木喜善著ちくま学芸文庫)には
遠野に語り継がれた狐にまつわる話も多く載せられていて、
現在楽しく読んでいます。

以前にもアップしたように、お稲荷さんにはさまざまな容姿の狐もいて、
これからの散策の楽しみでもあり、きつね・LOVE ♪ な毎日です(^^)。  
           
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by youyouhibiki | 2011-10-22 01:00 | 詩歌(下記以外) | Comments(2)

虫送りのこと

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先日、実盛のことを調べていて、「虫送り」なる行事が
農村部であったことを知りました。
虫送り(むしおくり)とは日本の伝統行事のひとつ。
農作物の害虫を駆逐し、その年の豊作を祈願する目的で行われる。
春から夏にかけての頃(おもに初夏)、夜間たいまつをたいて行う。
また、藁人形をつくって悪霊にかたどり、害虫をくくりつけて、
鉦や太鼓をたたきながら行列して村境にいき、
川などに流すことが行われるところもある。
地域によっては七夕の行事と関連をもって行われる。
農薬が普及するまで全国各地で見られたが、
現在は火事の危険などから行われなくなったところが多い。
(wikipedia 虫送りの項)
先日、「むざんやな甲の下のきりぎりす」(芭蕉)が実盛を詠んだものと
紹介しましたが、同じwikipedia実盛の項には、このようにも
書かれています。
実盛が討たれる際、乗っていた馬が稲の切り株につまずいたところを
討ち取られたために、実盛が稲を食い荒らす害虫(稲虫)になったとの
言い伝えがある。そのため、稲虫(特にウンカ)は実盛虫とも呼ばれる。
(wikipedia 実盛の項)
地方によって歌や祭り方に違いがあったようですが、
たとえばこのような歌が歌われました。

  おくった おくった
  稲虫おくった
  実盛さんは ごしょろくじゃ
  よろずの虫 ついてこい

「実盛さんのご上洛」という言葉は、
日本の半分(西日本)で唱われたといいます。
また、どうして実盛か、ということについては
実盛の「サ」が、早乙女の「サ」と同様に、田の神と関連があるらしく、
虫送りもはじめは田の神送りとして行われたのかもしれないと
言われています。

ネットで調べたりいくつかの本で調べてみましたが、
いくつかの祭りやの儀式が結びついたり、地方でもやり方が異なったりですが、、
稲、田、虫、実盛、人形、人形送り、神、神送り、火、鉦、夜、など
どれにも今は失われた意味が込められているようです。
(農村の青年が成人になるための通が儀礼的要素もあったのでは、
と書かれているものもありました。)

youtubeには今も行われている虫送りの様子も見られます。
実盛人形も画像検索すると出てきますので、興味ありましたら
ご覧になってください。


参考までに:
「むし」は「虫」ではなく「ながむし(蛇)」のこと、藁で作った龍が
田の神・水の神の化身であった、
とする説 http://hsaitoh.jugem.jp/?eid=37
人形送り http://www.geocities.jp/edelfalter/recture/ningyou.htm
実盛人形さまざま http://sentyuuhu.blog93.fc2.com/blog-entry-506.html
虫送り http://www.aa.alpha-net.ne.jp/itimuan/maru/old18/aya795.html
九十九里町の「虫送り」について 
  http://www.geocities.jp/x388gwgg/musiokuri.htm
「虫送り」柳田国男
『全国版 稲の祭と田の神さま 失われゆく田んぼの歳時記』酒井卯作(戎光祥出版)
『行事ともののけ』斉藤たま(新宿書房)
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by youyouhibiki | 2011-06-09 00:13 | 詩歌(下記以外) | Comments(0)

「ジョゼフ・コーネル×高橋睦郎 箱宇宙を讃えて」

先週、佐倉市にある川村記念美術館まで、
「ジョゼフ・コーネル×高橋睦郎 箱宇宙を讃えて」へ行ってきました。
貝殻や星図、リキュール・グラスや古い絵画の複製など、小さな品々が詰まった手作りの木の箱。コーネルが地下室のアトリエでこつこつと作り続けたそれらは、美術作品でありながら、彼自身の幸せな子供時代を封じ込めた宝物箱、叶わぬ夢や憧れのための飾り棚といえるものでした。そしてまた、両手で抱えられるほどの大きさの箱は、のぞき見る人の空想しだいで、どこまでも拡がっていく無限の宇宙にも姿を変えます。誰もが心の奥に大切にしまいこんでいる世界。その豊潤さや甘美さを、コーネルの箱は思い出させてくれるのです。

そんなコーネル芸術を深く敬愛する高橋睦郎(むつお)は、1993年に「この世あるいは箱の人」と題した詩をつくり、この稀代のアーティストを讃えました。そして本展では、当館が所蔵する7つの箱作品と9つの平面コラージュひとつひとつに捧げた詩16篇を新たに発表します。コーネルの創作と同じくひそやかに綴られた言葉は、その「小さく広大な世界」を清新な光で照らし出すにちがいありません。

美術家と詩人、20世紀のアメリカと現代の日本――異なる時空に生きながら、それぞれ独自の小宇宙を創造したふたりのコラボレーションを通じ、これまでにないコーネル・ワールドを体験していただけることでしょう。
                 川村記念美術館HPより

ディキンスン、ヘルダーリン、メムリンク、鸚鵡、
太陽、月、星、蜜蜂……

コーネルが箱に入れたものは
入れられたことによってコーネルと新しい世界を創り、
私たちをそこへと導いてくれました。

高橋睦郎は音声ガイドの中で、
コーネルの孤独と自分の孤独を重ねるようにして詩を書いた、
と語っていたのが印象的でした。
(正確な文言は忘れました)

箱絵を造るという作業も詩を書くということも
……あるいは創造をするという行為はすべて?……
世界との和解を夢見ているのかもしれません。

ところで、ホームページなどでこの箱絵《 無題 ( ラ・ベラ [ パルミジャニーノ ] 》を
見ていたのに、行ってみるまでこの女性が、今、国立西洋美術館で開催されている
「カポディモンテ美術館」展
の《貴婦人の肖像(アンテア)》であることに気づかなかった。

形や色を鮮明に記憶する人、活字を追う人、いろいろあると思うのですが、
私はどうやら後者のようです。orz

コーネルのラ・ベラではアンテアはやや色褪せ、
しっくいの壁に囲まれていますが、
その視線はかえって神秘性を帯びているようです。

高橋睦郎は、この作品に次の詩を捧げています。

  肖像画の女性は 見つめる
  誰を? とりあえず私を
  いいえ 私をつきぬけて 向こうを
  そのまっすぐな矢によって
  私は消去される
  女性は消え失せている      高橋睦郎

川村美術館はちょっと遠かったので、
行くのをためらっていたのですが、
展示の仕方、活版・リボン付き図録(売り切れで買えなかった)など、
とても素晴らしく、また9万坪のお庭も蓮や野百合が咲いていて
気持ちよかったです。
もう行き方を覚えたし、次に何か興味ある展示があったら
迷わず行くことにいたしましょう。
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by youyouhibiki | 2010-07-18 00:57 | 詩歌(下記以外) | Comments(0)

ル・フォール著作集(とアンテア)

私が高校生のときに、学校の図書館で小さな読書会がありました。
ドイツのカトリック系作家ゲルトルート・フォン・ル・フォールの
『無辜の子ら』が、そのとき取り上げられた本でした。

たまたま何かの理由で私は読書会に出席せず、本も読まなかったのですが、
出席した親友~当時も今も~が、すっかりル・フォールの
ファンになりました。

ドイツのカトリック系詩人・小説家ル・フォールの本のいくつかは
日本でも翻訳されており、彼女はそのすべてを読むと、
ドイツで購入した原語の全集を、今に至るまで先生について
読んでいます。

私はそんな彼女のル・フォール熱の影響でいくつかの
日本語訳は読んでいましたし、
ポール・クローデルの『マリアへのお告げ』のもとが
ル・フォールの作品であることや、
ベルナノス台本・プーランク作曲のオペラ「カルメル会修道女の対話」のもとが
『断頭台の最後の女』であることなどを
親友から教わって知っていました。
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ところが最近、教友社から「ル・フォール著作集」が発売され、
ほとんどすべての作品を読むことができるようになったのです!

私は今出ている1と4のうち4の方を購入して読み始めているのですが、
「どうして高校のときに読まなかったのだろう」と後悔することしきりです。

例えばかつて読書会で取り上げられた『無辜の子ら』は
第二次世界大戦当時、ドイツ軍によって村ごと滅ぼされた
フランスの村のことがテーマになっています。
「無辜の子ら」とは、イエスが生まれたときにヘロデ王によって殺された
幼い子どもたちのことですが、20世紀のひとつの虐殺事件を
とても普遍的な人間の問題として扱っているのでした。

また、『犠牲の炎』という作品は、小品ながら
主人公「私」がどういう経緯で詩人になっていったか、
-それをすなわちル・フォールであると言えないまでも-
詩を書く人にしか分からないであろう秘密を打ち明けています。

…状況が外面的にはますます見込み薄になっていった時、
心のなかでは私は急速に、詩の最後の一行でのみ詩人に与えられる、
あの陶酔の一瞬に近づいていたのです。
その一瞬とは、作品の創造者が
またそれの最初の享受者になる瞬間であり、
作者の内部から生まれ出たこの作品が、
さながら独立した存在のように、
作者の第二の自我であるかのように、作者に向き合い、
応答し、確証を与え、明らかな反響を示す
あの瞬間のことです。
つまり、詩が詩人の孤独を変容させる瞬間のことです。
当時私は、もはや期待したことの実現を体験したのではなく、
期待そのものが実際に実現したのであり
-詩みずからが期待を実現したのです-
詩の最後の一行が始まったのでした。

このような『ル・フォール著作集』4は一冊が500ページ以上もあり、
短編・中編小説が多く含まれているので、
夜、一篇を読んでそのまま寝ることを最近の習慣にしています。
まだすべてを読んだわけではないのですが、
『愛のすべて』(原題:plus ultra)は中でもとても感動的な小説でした。

この作品は、修道院に入ったばかりの修道女が、
宮廷での暮らしを捨てて尼僧になる決意をした
その経緯を修道院長に宛てた手紙、という形式をとっています。

皇帝の熱いまなざしが自分に注がれていることに気づき、
それに応えようと皇帝にも負けず熱い思いをまなざしで伝えようとした彼女は、
それを遂げることができないまま何者かの横やりとしか思えない力で、
別の宮廷へと追いやられ、熱い思いを告げることができないまま
長い年月を過ごします。
そして、さいごに皇帝に会えるチャンスを逃さないために
「尼僧になります」と偽りの決意を告げます。

しかし皇帝との会談の中で、彼女は尼僧となって
終生皇帝のために祈り続けることが皇帝を愛することであり、
自分は皇帝を愛すること以外のことは望めないことを知り、
すすんで尼僧になる、というようなストーリーです。

(さいごに、彼女への救済が作者の手によって示されます。)
この本を読んでいる途中、たまたま国立西洋美術館で
「カポディモンテ美術館」展が東京で開催されていることを知りました。
美術館のHPをみると、この美術展の目玉は
パルミジャニーノ画の 《貴婦人の肖像(アンテア)》とのこと。
射抜くようにまっすぐにこちらを見る美しく高貴な女性、
ル・フォールの『愛のすべて』の主人公はきっとこのような女性に違いない!
と思い、あるいはル・フォールはこの絵を見て『愛のすべて』を書いたのではないだろうか、
と、独断に満ちて「勝手に」思った次第であります。

もっともこの時点では、国立西洋美術館へは行こうかどうしようか
迷っていたのですが、結局、行きました。
   パルミジャーニーノ《貴婦人の肖像(アンテア)》
   油彩・カンヴァス
この絵のモデルは古来、ローマの高級娼婦で
パルミジャニーノの愛人と言われた女性アンテアとされてきた。
ただしその根拠はない。
衣装は北イタリアの貴族のものに近く、
ふんだんな装飾を身につけているのは、
彼女が新婦だからかもしれない。
ともあれ、闇を背に強い照明を当てられた彼女は、
その美しく、しかし注意深い顔立ちと
きらびやかな衣装によって、
パルミジャニーノの代表作としてのみならず、
16世紀の女性表現を代表する作例として知られている。
TBSホームページ

アンテアの正面、絵画から少し離れて背もたれのないソファがありました。
絵画の前を行きつ戻りつしたのちにこのソファに座って、
アンテアを見ました。どんなに見ても見あきない絵画です。

そこに置いてあった図録によると、
モデル云々というよりも愛や芸術に対する強い思いを表現した
女性像なのでは?ということが書かれていました。
(図録買ってないので、うろ覚えです。)

アンテアのまなざしは、何事(何者)かへの秘めた思いや意志を現わします。
彼女から伝わるのはその意志です。
ル・フォールの『愛のすべて』の主人公が、
アンテアをモデルにしているかどうかは分かりませんが、
『愛のすべて』を読き返すときに私はきっと、
この肖像画を思い浮かべることでしょう。
「神父さま」と、わたくしは面を輝かせて申しました。
「身にあまる御寛大なお贈物に
わたくしが衷心よりお礼申上げていますと、
どうか陛下におつたえいただきとうございます。
わたくしはもう一度選択をさせていただきました。
わたくしは完全な自由をもって、
わたくしがすでに陛下に申上げましたお答えを
もう一度繰り返します
--わたくしの今後の修道生活のすべてを、
陛下と陛下の御聖代とにたいする不断の犠牲として
ささげるつもりでございます、と」
          (……)
「あなたのお気持ちをひるがえさせようとはしますまい、
ドンナ・アラベラ」と、
神父さまはやがておっしゃいました。
「そんなことをしたところで意味のないことですから。
私は、あの大プラトーがかつておっしゃったように、
地上の愛も神にいたる道になりうることをよく知っております。」
                      (『愛のすべて』より)

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ゲルトルート・ル・フォール(1876-1971)
日本語の充実サイトはないので、こちら(英語)など、ご参考までに。
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by youyouhibiki | 2010-07-18 00:24 | 詩歌(下記以外) | Comments(0)

會津八一と吉野秀雄

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『奈良の古寺と仏像~會津八一のうたにのせて』
@三井記念美術館(日本橋)を見に行きました。
これは平城遷都1300年の特別展なのだそうです。

奈良時代の貴族たちが所有したと思われる、
どちらかというと小ぶりな仏様(金銅仏)に始まり、
悪い夢をよい夢にかえてくださる夢違観音(上の写真)まで、
東大寺、西大寺、唐招提寺…にはじまる奈良のお寺の仏さまが
それぞれお寺ごとに展示され、そのお寺を詠んだ會津八一の歌も
紹介されていました。

法隆寺ですと

  あまたみし てらにはあれど あきのひに もゆるいらかは けふみつるかも

薬師寺ですと

  すゐえんの あまつをとめが ころもでの ひまにもすめる あきのそらかな


私は、音声ガイドを借りたのですが、
NHKの加賀美幸子さんの解説と歌の朗読でしたので、
その声と抑揚を楽しみながら、仏さまを拝見することができました。

歌人、書家、美術史家として奈良のすばらしさを謳いあげた會津八一の書も、
何点か展示されていました。

実は私、歌人の吉野秀雄のうたが好きで、
このブログにも何回か載せているのですが、その吉野秀雄の敬愛する師が
會津八一なのです。

家に帰ってさっそく『やわらかな心』(吉野秀雄 講談社文芸文庫)から
「秋艸道人會津八一」という個所を読み返してみました。

まず「先生との出会い」については、
吉野秀雄が結核療養をしていた病床で
會津八一の『南京新唱(なんきょうしんしょう)』を読んで
「有名な自序の文も作品もことごとく諳誦し、
なかんずく大和行脚の歌の美しさに魂を奪われた」こと、
難解な歌二首について書状で質問をしたところ、

  「先生はこれに対してすぐ返事をくださったが、
  その歯切れのいい候文といい、
  その一枚漉き和紙四枚に墨書された見事な筆跡といい、
  絶妙と嘆ずるほかはなく、数金を投じて額に仕立てたのが
  いまも残っている…」

  「考えてくると、わたしは先生の歌にも書にも文章にも、
  接触した瞬間、いきなり惚れ込んでしまった一人なのである」

と、弟子をとらない先生の「門人」になるまでの経緯が書かれています。

また、今回も展示されていた會津八一の「学規四箇条」については、
音声ガイドでも紹介されていましたが
吉野秀雄宅に額として掲げられていたものを、
自殺志願の若者が密かに別れを告げにきた折に読み、
「翻然と非を悟った」こと、

  「先生の学規は先生の血肉から出ていればこそ、
  無縁の某生をも有縁の者と化しえたのであろう。」

と吉野秀雄は書いています。

ほかにも吉野秀雄は會津八一についていろいろなことを語っていますが、
師への畏怖をともなった敬愛の念は文章にもにじみ出ており、
そういった師弟関係をとても羨ましく思います。

會津八一の最期のことばは大声での
「會津八一を知らんか!」であった、と吉野秀雄は書き、
そして「これは先生が死を叱りつけた声だと、わたしは解している。」
と言います。

        挽歌一首
     先生別号を獅子宮人と称せるによりて
  いまよりは天(あめ)の獅子座のかがやきを大人(うし)のまなこと観つつ励まむ    

文章の最後に添えられた吉野秀雄のうたです。



うっかり「学規四箇条」を載せそびれるところでした。

  一、ふかくこの生を愛すべし
  一、かへりみて己をしるべし
  一、学芸を以て性を養ふべし
  一、日々新面目あるべし

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by youyouhibiki | 2010-07-17 21:34 | 詩歌(下記以外) | Comments(0)

覚書 石橋秀野のこと

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山本健吉の最初の妻が俳人・石橋秀野である、
ということを、最近まで知らなかった。
石橋秀野は、wikipediaにこのように書かれている:
明治42年(1909年)2月19日、奈良県に生まれる。
旧姓藪。文化学院文学部(大学部本科)卒業。
文化学院中学部の時、学監与謝野晶子に短歌を、高浜虚子に俳句を学ぶ。
大学部では正課に俳句がなかった為、勝手に作って虚子に見てもらっていたという。
昭和4年(1929年)、俳句評論家の山本健吉(本名石橋貞吉)と結婚、
石橋姓となる。
昭和13年(1938年)頃より、横光利一の十日会句会に参加、俳句を復活し、
石田波郷、石塚友二らと相知るようになり「鶴」入会。
後に「鶴」課題句の選者となり、
「鶴」を代表する女流俳人として活躍する。
昭和20年(1945年)には夫の島根新聞社赴任に従い島根県に移住、
松江、鳥取の「鶴」俳人達と句会を催した。
昭和21年(1946年)7月には夫が京都日日新聞社論説委員となったため
京都に転居。
しかし戦時中の疎開生活中に病に冒され、昭和22年(1947年)9月26日、
京都宇陀野療養所にて逝去、39歳であった。
句文集「桜濃く」(1949年)は10年間の作品と随筆12編他を
追悼の意を込めて刊行され、「桜濃く」は第一回茅舎賞を受賞する。

『定本石橋秀野句文集』(富士見書房)を読むと、
秀野が文化学院時代に書いた作文が載っている。
それは虚子が出した課題:「俳句を作り始めてから、何らか貴方々の心持の上に
又た日常生活の上に(主として趣味の上に)変化を来したことがあれば
書いて御覧なさい。」に対して書かれたものである。
「(前略)俳句を作るといふことは、容易いことであると思ふ。しかし
真実の俳味を味ひ、真実の俳境に達しやうとするのは非常に困難である。
俳境に於る感情は仏教でいふ三昧と同様である。
理論もすべてその要をなさないものである。その自由であり、
高尚であり、禅昧の豊な点に於て、俳句は墨絵のやうな味ひを持つてゐる。
俳人はワイルドである。芭蕉にしろ、一茶にしろ、唯然にしろ、
すべてその生涯はワイルドであつた。
そして各々が人間性の真実を描き得た一個の写実主義者であつた。
その十七文字に表はされた心持はどんなにか心理を物語つてゐるであらう。
人生が深遠であるやうに俳句も亦深遠である。
一歩一歩人生の道を辿つて行くやうに、
一歩々々俳境に自分自身を近付けて行くために私は努力をし度いと思ふ。」
これに対する虚子の評:「この答案は私の問題と離れて
少し堂々とし過ぎてゐるが、しかし兎に角、
女学校の三年生でいてこれだけのことが言へるのは感心だと思つた。」
というものであった。
(山本健吉は「これは彼女の文章の活字になつた始めであらう。」と書く)

その後結婚し、横光利一の十日会句会に参加するまでの約9年間は、
二三の俳句を作ったくらいだったというが、健吉は
「結婚後八年ほどほとんど句作廃絶の後、横光氏を中心とする『十日会』に入つた時、
昨日まで句作を続けてゐたものの如く淡々と作り出したのも、
少女時代にすつかりその道は自分のものにしてゐたゆゑであらう。」と書いている。

この頃の、選句に添えて書かれた文章にこのようなものがある。
   妄選談(課題句「百日紅」)
佳句とすべきものなく、百日紅と有機的連絡に乏しい句が多い。
たとへば百日紅とある上五句を春雨やとおき代へても紅梅やとおいても
差支へなく敢て百日紅でなくてもよかつたと云ふ感である。
頭デツカチで足がない。これは百日紅と持つて来ると、
字数が多く、や、かな、けり、の入れ場に
当惑した形で句としてしまりがないのに理由があらう。
この場合写生に依つて生まれた句は巧拙は別としても
必ず上五句も下の句もぴつたりと結びついたものがある筈である。
個々の作品評はさける。もつと平坦な云ひ廻しでよいのを殊更むつかしく、
たとへば入日でも夕日でも充分美しく意味が分るのを落暉と云ふのなど、
そのため句の値打がちがふ様に思ふのは錯覚である。

平談俗語を駆使しても俗にはならぬものである。詠嘆に肩を怒らせば、
内容は却つて間が抜ける。句は字面で読むためでなく、
唇に上らせ耳に聞え、心に響くものである。(後略)
なかなかにハードな文章。健吉は「藪三娘を悲しむ」で
秀野の俳句についてこのように書いている。
さう言へば彼女の俳句にも、女らしい弱さはないのである。
男じみるのではなく、完璧に女らしい豊かさの中に一種の強さを
みなぎらして行く――彼女の俳句はこのやうな方向を
指向してゐたやうである。
強さ、弱さといふのは要するに造型意志の問題なのだ。
文字を彫りつけることが同時に人間を造型することであり、
命をきざむことであるかぎり、それが女人であれば
女人の体息が濃ゆく染み出て来る筈だ。(後略)」
『定本石橋秀野句文集』で晩年(昭和22年)の句を読むと、
髪を詠んだ句がところどころにあって病状の悪化が痛ましい。
きさらぎの銀河あえかに髪濡るゝ   (2月)

夏ちかし髪膚の寝汗拭(のご)ひ得ず   (5月)

この頃の句:、
  ひるの蚊を打ち得ぬまでになりにけり   (6月)

     家人に
  短夜の看とり給ふも縁(えにし)かな


かなしさよ夏病みこもる髪ながし   (6月)


   かく衰へて
梳る必死の指に梅雨晴間   (7月)

そのあとに:
  妻なしに似て四十なる白絣

  裸子をひとり得しのみ礼拝す

  西日照りいのち無惨にありにけり
当時について、健吉はこのように書く:
そしてそれは彼女の病中吟に於て極まつたのである。
そこには死を前にして絶対絶命の生命の慟哭が聴かれるのである。
彼女は素逝のやうな、肉身の存在を見失つてしまつたやうな
弱々しさを好まなかつた。
彼女は子規や茅舎の病中吟に見られるやうな強さを好んだ。
そしてその精神力の強さが、彼女の病状の進行を
私たちの目からさへも蔽つていた嫌ひがある。…

7月21日、病状が悪化し、入院となり、それ以降9月26日に亡くなるまで
句作を医師によって禁じられる。
彼女の最後となった句は、入院時に母を追う一人娘安見子(当時5歳)を
詠んだ句であった。

   蝉時雨子は擔送車に追ひつけず

私が石橋秀野とその句を知ったのは高橋睦郎の『百人一句』(中公新書)で、
そこに挙げられていたのは、昭和19年の句である。

   眦(まなじり)に紅決したる踊りかな

彼女の生涯と句を辿っていくと、『百人一句』に書かれているように、
この句こそ秀野が自身を詠ってように思える。
写真を見るとたいへんな美人であるが、
今このような女性になかなか出会えないと思うのは、
芯に秘めた強さと成熟した人間性・女性性のゆえかもしれない。


注記:
上記引用は『定本石橋秀野句文集』(富士見書房)による。

  蝉時雨子は擔送車に追ひつけず
は、「担送車」と表記されているが、絶筆の写真のとおり、旧漢字とした。
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by youyouhibiki | 2010-06-17 13:56 | 詩歌(下記以外) | Comments(0)

は ぎ お も と

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『矢川澄子作品集成』(書肆山田)を読んでいます。
とくに『ことばの国のアリス』と『アリス閑吟抄』がすごいです。
折込詩や数え歌、千字文その他その他の遊び歌は、
彼女の才能をあますところなく伝えていて、
早すぎた死が惜しまれます。

たとえば

  「名ノ謎歌拾遺」-萩尾望に

  はれやかなそらに
  ぎんのすずの
  わらいごえをひびかせ
  らいおんにまたがって
  のいばらのつゆをあび
  ぞんぶんにはしれ
  みちのくにめざして

このように名前を折り込んだ詩を、
彼女は恋人や友だち、家族にプレゼントしていたようです。

そこでさっそく私も作ってみました。
(けっこう乗りやすいタイプです。)

  なにかおもしろいことないかと
  かんがえてばかりいて
  じっとしていられないあたし
  まぁちょっとおちついてといわれても
  ゆっくりなんてできないわ
  うちのひとたちみんなしってる
  こどものころからそうだった

もうちょっと、言葉みがきをした方がいいような、
だけど内容はなかなかその通りのような…..(^^;;


写真は「チョコレート・コスモス」、
ちょっぴりブラックのきいた彼女の詩に捧げたい。


(もうすこしまともな「なかじまゆうこ」募集中。)

        *

追記

募集に応えて、Optioさんがすてきな歌をつくってくださいました。

「Optioの風」

風薫る5月に、自転車でお茶の水、神保町をまわり、
うたにあるように「草紙」を買ってきた私です。

  「夢の花現し世に植ゑ」 

そうありたいものです。ありがとうございます。
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by youyouhibiki | 2010-05-05 10:44 | 詩歌(下記以外) | Comments(2)


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