カテゴリ: 芥川/片山廣子( 9 )

芥川龍之介『妖婆』の舞台へ

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7月にブログに書いた『江戸東京怪談文学散歩』(東雅夫 角川選書)と
芥川龍之介『妖婆』と両国一つ目界隈(墨田区)ですが、
先日思い立って行ってきました。
これが竪川、一つ目橋近辺。江戸に対してタテに流れているから竪川とか。
川幅約36メートルというのは変わらないようです。

今回、『江戸東京怪談文学散歩』(東雅夫 角川選書)を読み直す時間がなかったのですが、
行きの地下鉄の中で青空文庫『妖婆』を再読しました。

そもそも「妖婆」とは何か? それはこんな妖しげなお婆さんです。

  ところでお島婆さんの素性はと云うと、歿くなった父親にでも
  聞いて見たらともかく、お敏は何も知りませんが、ただ、
  昔から口寄せの巫女(みこ)をしていたと云う事だけは、母親か
  誰かから聞いていました。が、お敏が知ってからは、もう例の
  婆娑羅(ばさら)の大神と云う、怪しい物の力を借りて、加持(かじ)や
  占をしていたそうです。この婆娑羅の大神と云うのが、やはり
  お島婆さんのように、何とも素性の知れない神で、やれ天狗(てんぐ)だの、
  狐だのと、いろいろ取沙汰もありましたが、お敏にとっては
  産土神(うぶすながみ)の天満宮の神主などは、必ず何か水府のものに
  相違ないと云っていました。そのせいかお島婆さんは、
  毎晩二時の時計が鳴ると、裏の縁側から梯子(はしご)伝いに、
  竪川の中へ身を浸して、ずっぷり頭まで水に隠したまま、
  三十分あまりもはいっている――それもこの頃の陽気ばかりだと、
  さほどこたえはしますまいが、寒中でもやはり湯巻き一つで、
  紛々と降りしきる霙(みぞれ)の中を、まるで人面の獺(うそ)のように、
  ざぶりと水へはいると云うじゃありませんか。
青空文庫『妖婆』より

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一度妖婆が術をかけた場所では二度と術をつかえない、
ということで川沿いの石切り場は安全、ということになっている。
ここがその石切り場でしょうか? なんでも芥川の頃も今も、狛犬があるそうなのですが、
チェックし忘れてしまいました。orz

  その内にもう二人は、約束の石河岸の前へ来かかりましたが、
  お敏は薄暗がりにつくばっている御影(みかげ)の狛犬(こまいぬ)へ
  眼をやると、ほっと安心したような吐息をついて、その下をだらだらと
  川の方へ下りて行くと、根府川石(ねぶかわいしが何本も、
  船から挙げたまま寝かしてある――そこまで来て、やっと
  立止ったそうです。恐る恐るその後から、石河岸の中へはいった
  新蔵は、例の狛犬の陰になって、往来の人目にかからないのを
  幸(さいわい)、夕じめりのした根府川石の上へ、無造作(むぞうさ)に
  腰を下しながら、「私の命にかかわるの、恐しい目に遇うのって、
  一体どうしたと云う訣(わけ)なんだい。」と、またさっきの返事を
  促しました。するとお敏はしばらくの間、蒼黒く石垣を浸している
  竪川(たてかわ)の水を見渡して、静に何か口の内で祈念している
  ようでしたが、やがてその眼を新蔵に返すと、始めて、嬉しそうに
  微笑して、「もうここまで来れば大丈夫でございますよ。」と、
  囁くように云うじゃありませんか。新蔵は狐につままれたような
  顔をして、無言のままお敏の顔を見返しました。それからお敏が、
  自分も新蔵の側へ腰をかけて、途切(とぎ)れ勝にひそひそ
  話し出したのを聞くと、成程二人は時と場合で、命くらいは取られ
  兼ねない、恐しい敵を控えているのです。 
青空文庫『妖婆』より

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一つ目橋(元・一の橋)から二つ目橋(二の橋)まで歩いたのですが、
一つ目橋の向こう側にあった江島杉山神社。ここは、
鍼灸師として名を馳せた杉山検校を祀った神社。というばかりでなく
ご覧のようなナゾの洞穴が…。恐る恐る入る私。。

そして私がその中で見たものは……。。

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ネタばれになるので申しません。申しませんが、ふふっ、
龍之介もきっとこの洞窟の中のあれを見て、『妖婆』のストーリーを
膨らませたんだろうな。。と思わせるあるものと出会いました。

興味のある方はぜひ『妖婆』を読み、この洞窟へ行ってみてくださいませ。
(もしかして、『江戸東京怪談文学散歩』(東雅夫 角川選書)に
書いてあったかしらん。。)

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芥川は大正・昭和に残る江戸を描き、私は芥川の大正・昭和を探し歩く。
ちょっと不思議な気分のときに見つけたスカイツリー。。

江戸も明治・大正・昭和も平成も、探せば見つかるこの土地で、
新しい物語がまた生まれるよね、きっと…、そんな思いにさせてくれました。
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by youyouhibiki | 2011-10-15 18:16 |  芥川/片山廣子 | Comments(0)

『江戸東京怪談文学散歩』 幽霊のいる場所は?

ふと手にとって読み始めた『江戸東京怪談文学散歩』(東雅夫 角川選書)は、
江戸東京の怪談文学とともにその舞台となった場所を案内する一冊。

まずは「第一章 芥川龍之介『妖婆』と両国一つ目界隈(墨田区)」。

龍之介の『妖婆』、登場する怪しげな妖婆の術策にハラハラさせられつつ、
小説の舞台である回向院から堅川(立川)一の橋周辺を、
実際にその辺りにお住まいの東氏が歩く。
そしてとうとう石材置き場や御影石の狛犬を見つけたとあれば……

  ひょ、ひょっとしたら今もそこに妖しい婆が……??

なんて思うこと請け合い。
「…外へ出れば電車や自動車が走っている。
内へはいればしっきりなく電話のベルが鳴っている。(……)
が、東京の町々の燈火が、幾百万あるにしても、
日没と共に蔽いかかる夜をことごとく焼き払って、昼に返す訳には
行きますまい。
ちょうどそれと同じように、無線電信や飛行機が
いかに自然を征服したと云っても、
その自然の裏に潜んでいる神秘な世界の地図までも、
引く事が出来たと云う次第ではありません。それならどうして、
この文明の日光に照らされた東京にも、
平常は夢の中にのみ跳梁する精霊たちの秘密な力が、
時と場合とでアウエルバッハの窖(あなぐら)のような
不思議を現じないと云えましょう。
時と場合どころではありません。
私に云わせれば、あなたの御注意次第で、
驚くべき超自然的な現象は、まるで夜咲く花のように、
始終我々の周囲にも出没去来しているのです。」(『妖婆』)

サイダアやビール、アイスクリームなどと洒落たアイテムが出てくる
「東京」の今(=当時)に占い加持祈祷、神おろしの怪しげな術を使う婆さんが存在。
そこは明らかに法や科学の治外であり、拉致された恋人を救う手立ては……。

(『江戸東京怪談文学散歩』にも結末は書いてないので、私は図書館に走り、
『芥川龍之介全集3(ちくま書房)』を大急ぎで借りる羽目になったことを
申し上げておきます。)


さてこのようにして第一章以降、向島、深川、文京区、板橋区…と経巡る中で、
多くの怪談が川と橋の記憶となっていることを指摘
(そうでした、幽霊といえば、川、橋、柳、でした)、
東氏はこのように記しておられる。

「思えば振袖火事といい吉原大火といい、あるいは関東大震災や
東京大空襲といい、東京の下町は、母なる水の流れと魔性の火焔が
激しく鬩ぎ合うカタストロフと大量死を、繰り返し経験してきたのであった。」

そして「江戸東京の怪談生成の原風景」は「低湿地の濃密さ」であるとも。



ということは……

「水都」江戸東京こそが幽霊発祥の源であるというわけで……



夜、お一人で川辺や橋をお渡りの折は、どうぞお気をつけておくんなまし……





以前両国へ行ったときのブログ。このときは『妖婆』の存在を知らず、
立川の方へは行かなかった。残念。

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by youyouhibiki | 2011-07-29 22:19 |  芥川/片山廣子 | Comments(0)

『かなしき女王』

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松村みね子(片山廣子)の『かなしき女王 ケルト幻想作品集』(沖積舎)は、
ちょっとお高い本だったので、図書館で何回も借りて読みました。
その後、2005年にちくま文庫から出ていたのだけど、
そのままになっていて、最近、ブックオフで見つけ購入した次第です。

(というわけで、画像も沖積舎のもの)

そして読み返して…どうしてこの方の訳は古びないのか、と
再び思いました。

ひとつには、ケルトの物語が愛や死や神といった、
人間の根源にかかわっている、神話的な題材だからかとも思われます。
ですがそれだけではない、片山廣子の言葉に対する感性にもよるのでしょう。


ちくま文庫のあとがきによると、
廣子はどうやらこの訳の原本を芥川に贈ったらしく、
彼女の蔵書に原本はなく、芥川の蔵書印の押されたものが別なところに
あるらしい…ということです。


また、主に堀辰雄と廣子の娘について書かれている
『物語の娘―宗瑛を探して』(講談社)に、
芥川や広子のことも書かれているとことなので、
機会があったら読んでみたいと思います。
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by youyouhibiki | 2010-05-04 23:22 |  芥川/片山廣子 | Comments(0)

鼠小僧と龍之介

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両国は芥川龍之介の生家跡があることも、
行ってみたい理由のひとつでした。
回向院から歩いて10分くらいのところに生家跡があります。

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また、そこから歩いて5分(回向院の方へもどる)のところにあり
芥川が通学していた両国小学校角には杜子春の石碑がありました。
その横の両国公園は勝海舟生家跡です。

芥川というと英文学の影響を強く受けていると思われがちですがが(実際そうなのですが)、
実は彼は両国で育った江戸前の人なのだ、という文章を以前読んだことがあります。
生後すぐに母が発狂、芥川家の養子になりましたが、
「芥川家は江戸時代、代々徳川家に仕え雑用、
茶の湯を担当したお数寄屋坊主の家である。家中が芸術・演芸を愛好し
江戸の文人的趣味が残っていた。(wikipedia)」という環境で育ち、
両国近辺には19歳のときまで住んでいました。

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帰ってから鼠小僧のことをちょっとwikipediaで見ていたのですが、
なかなか面白い記述がありました。
鼠小僧について「金に困った貧しい者に、汚職大名や悪徳商家から
盗んだ金銭を分け与える」と伝説がある。
実はこの噂は彼が捕縛される9年も前から流れていた。
事実、彼が捕縛された後、役人による家宅捜索が行われたが
盗まれた金銭はほとんど発見されなかった。
傍目から見ると彼の生活が分をわきまえた慎ましやかなものであることから
盗んだ金の行方について噂になり、このような伝説が生まれたものと
考えられる。
しかし現実の鼠小僧の記録を見るとこのような事実はどこにも
記されておらず、現在の研究家の間では
「盗んだ金のほとんどどは博打と女と飲酒に浪費した」
という説が定着している。

当時の重罪には連座制が適用されていたが鼠小僧は勘当されているために
肉親とは縁が切れており数人いたという妻や妾にも
捕縛直前に離縁状(離婚証明)を渡していたため、
天涯孤独の身として刑を受けた。
この自らの行いに対しあらゆる人間を巻き込まずに済ませたという点も、
鼠小僧が義賊扱いされる要因のひとつとなっている。


芥川の書いた短編に『鼠小僧次郎吉』があるというので
青空文庫で読んでみました。
前の日記のとおり、回向院には次郎吉の墓があり、
芥川には馴染みの人でありヒーロー(?)だったのでしょうか。
いなせな次郎吉のしゃべり言葉を、楽しみながら書いたのでは、と思います。
大正8年の作といいますから、健康状態もまだ晩年ほど悪くなってなかったでしょう。

昭和2年に芥川は亡くなるわけですが、
その時世の句は

  水洟や鼻の先だけ暮れ残る

でした。ある方の本(どこのだれだったか失念)に、
「かろうじて鼻だけが生きている状態」というような文章がありました。
自身は死の理由を遺書の中で「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」と書いており、
またある人はそれだけではなく(軍国主義へと向かう)時代が持つ漠とした不安も
あったのでは、と言います。

  木がらしや東京の日のありどころ

という句などを見るとなるほどそうなのかとも思えますがまた両国へ来てみて、
江戸というものからだんだん切り離されていく東京への不安も
あったのでは、と思いました。
(今の両国は東京の他の地域から比べると、
今もとっても江戸らしくはあるのですが。。。)

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そういえば龍之介は自身を河童と名告っており
私のイメージだと河童は川の上流の流れの急なところで泳いでいる感じなのですが、
芥川の河童はきっと大川の河童なのですね。

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両国から見る隅田川は残照の中ゆったりと流れていました。
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by youyouhibiki | 2009-11-08 19:43 |  芥川/片山廣子 | Comments(0)

村岡花子と片山廣子

『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』(マガジンハウス)は、
村岡花子の生涯を、お孫さんの村岡恵理さんが書いたもの。

村岡花子は東洋英和で英語を学んだと、どこかで読んでいたので、
もしかして片山広子と関連があるのでは。。。と思っていたら、
果たして15歳年上の同校先輩・廣子から花子はさまざまな影響を受けている。

すでに日銀に勤める片山氏と結婚していた廣子の家に遊びに行き、
当時の女性には珍しい「書斎」を彼女が持っていることを見た驚きや、
歌人佐々木信綱に紹介してもらい、花子も短歌をはじめとする
日本文学を学んだこと(そして信綱に鴎外訳『即興詩人』を教えられ、
翻訳の道へ進むことになる)、
また、花子は結婚した後も廣子の家に近い大森に移るなど、
かなり近しく交流していた。

片山廣子さんが私を近代文学の世界へ導き入れて下さった。
そうして、その世界は私の青春時代を前よりももっと深い静寂へ導き入れるものであった。
けれどもこの静かさは、以前のような、逃避的な、何者をも直視しない、
正面からぶつかって行かない「精神的無為」の静かさではなくして、
心に深い疑いと、反逆と、寂寥をたたえた静かさであり、
内面的には非常に烈しい焔を燃やしながら、
周囲にその烈しさを語り合う相手を持たないことから来る沈黙であった。
              『改訂版生きるということ』(村岡花子)より


廣子の写真一葉、まだ頬がふっくらしたごく若い頃の写真が
掲載されているのも貴重だった。(P.98)
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by youyouhibiki | 2009-05-20 22:20 |  芥川/片山廣子 | Comments(0)

[断章]片山廣子(『斎藤史歌文集』より)

作家や歌人の人となりついて、本人の作品からイメージするほかに、
他の人の文章の中に、
「ああ、そういう方だったのか」と思うことがあって、
そういう断片を拾い集めることにも多少は意義があるような気がします。


『斎藤史歌文集』(講談社文芸文庫)を読んでいたら、
以前ブログにも書いた片山廣子について書かれている部分があったので抜粋します。
「おやじとわたし--二・二六事件余談」(NHKラジオ録音したものの元原稿・
『斎藤史歌文集(講談社文芸文庫より)』)

このあと(父上・陸軍軍人の斎藤瀏が2・26事件に連座して逮捕されたとき)、
わたくし共の家を廻っての他人様(よそさま)の反応は、
まことにいろいろでございました。
うわさが伝わってから、第一に自動車をとばして訪ねて下さったのは、
歌人の尾崎篤二郎氏。(中略)
家の方にも、徳富蘇峯先生が御嬢様の名和盛子さん(歌人)を通じて
御見舞下さったり、御一人で、すらりといらしった、片山広子さん。
-この方のこと、父の話からは横道に入りますがすこし御話しして、
よろしうございましょうか-。
-アイルランド文学の翻訳者、松村みね子、というより、歌人というより、
エッセイスト賞をうけた随筆集「燈火節」の作者というよりも、むしろ、
芥川龍之介が「彼は彼と才力の上にも格闘出来る女に遭遇した-」
と書いた人。
-わが名はいかで惜しむべき。
 惜しむは君が名のみとよ。-
と書いた人といったほうが、何となく御わかりになるかもしれません。
わたくしは、お若い日のくわしい事は知らず、御目にかかったのは、
御年を召してからではあったのですが、
そのものごしのうつくしさ、心の据えたかたの聡明さ、
心ひかれるお人柄でございました。

-昭和の初期やはり「心の花」に、富岡鉄斉の孫で、
富岡冬野さんというすぐれた歌人がありましたが、
御結婚後、上海で御亡くなりの時、斉藤史に遺稿集を頼む-
と言い遺された由で、その遺歌集「空は青し」をまとめ、
佐佐木先生の御目を通していただいた原稿を持ったわたくしを伴って、
第一書房主長谷川氏に御ひきあわせ下さったのは、
この片山さんでございました。

斉藤史についてwikipediaより:
斉藤史(さいとう ふみ、1909年2月14日 - 2002年5月26日)は、
日本の歌人。
東京都生まれ。福岡県立小倉高等女学校(現・福岡県立小倉西高等学校)
卒業。
三島由紀夫の小説「豊饒の海」の鬼頭槇子のモデル。

経歴
父は、陸軍少将斎藤瀏。二・二六事件では、父を通じて親交があった
青年将校の多くが刑死し、父も事件に連座して禁固5年となる。
このことから、生涯に渡って二・二六事件を題材とした歌を読んだ。
青年将校の、栗原安秀・坂井直 両中尉とは、旭川時代からの幼馴染であり、
栗原の事は「クリコ」と呼んでいた。

斉藤史の歌の多くが二・二六事件を核にして詠まれていることは知っていましたが、
『斎藤史歌文集』を読んではじめて、かなり詳しく事件の周辺を知ることができました。
二・二六事件、あるいは死について詠まれたうたや介護された母上を詠まれたうた、
ご自身の老いを詠まれた歌のほかに、
私はこちらの歌が特に好きです。


  月 神のごとく昇るにあやまちて
  声もらしたる森のかなかな


斉藤史の代表作はこちらから:http://yoshi5.web.infoseek.co.jp/cgi-bin/dfrontpage/sonota/SAITOUhumiSYUUKA100.html
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by youyouhibiki | 2009-01-18 23:43 |  芥川/片山廣子 | Comments(0)

片山廣子と短歌

片山廣子の最初の歌集『翡翠』が世に出たのは、大正5年。当時廣子は38歳だった。
佐々木信綱門下にいた。日銀総裁夫人である。二人の子どもがいた。
(その後、廣子42歳のときに夫は亡くなるのだが。)

年表を見ると、この頃廣子は鈴木大拙夫人ベアトリス指導のもとに
初めてアイルランド文学に親しんだ、とある。
東洋英和学院で英語を学び、すでに数年前からタゴールの詩や
ショーの戯曲を訳していた。

『翡翠』からいくつかの短歌を:
よろこびかのぞみか我にふと來る翡翠の羽のかろきはばたき

月の夜や何とはなしに眺むればわがたましひの羽の音する

一人ゐてあまりつよくも物おもふ空に聲して答へは來ずや

秋の風あかつき吹けば我が魂も白き羽負ひ遠き世に行く

あまつ世の魂の足音【あおと】も聞ゆらし夢の國往くあかつきの時

一つの夢みたされて眠る人の如くけふの入日のしずかなる色
     *

『燈火節』の中で廣子は、ケルトの暦にならって、知っている古歌を
色分けしようと試みている。
たとえば式子内親王の
「ほととぎすそのかみ山の旅にしてほの語らひし空ぞ忘れぬ」
についてはこのように書いている。
「ほととぎすが鳴いた山の旅では、夏山の青い色ばかりではない。
ほのかに話をしていた時、空は夕ばえの紅(べに)であつたらうか? 
あるひは空のしらみ明けてゆく暁ごろのうすいピンクであつたらうか?」
……片山廣子も、この歌が好きだったのだろうなぁ、と思うのだけど、
それは我田引水なのだろうか?
だけど、彼女のうたを読んで、式子内親王のうたを思い出すのはほんとうである。
特に「夢」や「あかつき」、「空」、「たましい」などという言葉に出会うときは。
それはもちろん類似している、という意味ではない。
式子内親王のうたにしても、片山廣子のうたにしても、
ものごとを見るときに、表層だけを見るのではなく、たましいの内側から
眺めているような、そんなところがあるという意味からである。
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by youyouhibiki | 2007-11-17 02:36 |  芥川/片山廣子 | Comments(2)

ソロモンとシバの女王

前回の日記の続き。
芥川龍之介の書くソロモンとシバの女王、片山廣子の『乾あんず』は、
そのことを知らなくても名随筆なのだけれど、二つはやはり並べて読んでみたくて。。。

『三つのなぜ』        芥川龍之介
二 なぜソロモンはシバの女王とたった一度しか会わなかったか?

 ソロモンは生涯にたった一度シバの女王に会っただけだった。それは何もシバの女王が遠い国にいたためではなかった。タルシシの船や、ヒラムの船は三年に一度金銀や象牙(ぞうげ)や猿や孔雀(くじゃく)を運んで来た。が、ソロモンの使者の駱駝(らくだ)はエルサレムを囲んだ丘陵や沙漠(さばく)を一度もシバの国へ向ったことはなかった。
 ソロモンはきょうも宮殿の奥にたった一人坐(すわ)っていた。ソロモンの心は寂しかった。モアブ人、アンモニ人、エドミ人、シドン人、ヘテ人等(とう)の妃(きさき)たちも彼の心を慰めなかった。彼は生涯に一度会ったシバの女王のことを考えていた。
 シバの女王は美人ではなかった。のみならず彼よりも年をとっていた。しかし珍しい才女だった。ソロモンはかの女と問答をするたびに彼の心の飛躍するのを感じた。それはどういう魔術師と星占いの秘密を論じ合う時でも感じたことのない喜びだった。彼は二度でも三度でも、――或は一生の間でもあの威厳のあるシバの女王と話していたいのに違いなかった。
 けれどもソロモンは同時に又シバの女王を恐れていた。それはかの女に会っている間は彼の智慧(ちえ)を失うからだった。少くとも彼の誇っていたものは彼の智慧かかの女の智慧か見分けのつかなくなるためだった。ソロモンはモアブ人、アンモニ人、エドミ人、シドン人、ヘテ人等の妃たちを蓄えていた。が、彼女等は何といっても彼の精神的奴隷だった。ソロモンは彼女等を愛撫(あいぶ)する時でも、ひそかに彼女等を軽蔑(けいべつ)していた。しかしシバの女王だけは時には反って彼自身を彼女の奴隷にしかねなかった。
 ソロモンは彼女の奴隷になることを恐れていたのに違いなかった。しかし又一面には喜んでいたのにも違いなかった。この矛盾はいつもソロモンには名状の出来ぬ苦痛だった。彼は純金の獅子(しし)を立てた、大きい象牙の玉座の上に度々太い息を洩(も)らした。その息は又何かの拍子に一篇の抒情詩に変ることもあった。

わが愛する者の男の子等の中にあるは
林の樹の中に林檎(りんご)のあるがごとし。
…………………………………………
その我上に翻したる旗は愛なりき。
請ふ、なんぢら乾葡萄(ほしぶだう)をもてわが力を補へ。
林檎をもて我に力をつけよ。
我は愛によりて疾(や)みわづらふ。

 或日の暮、ソロモンは宮殿の露台にのぼり、はるかに西の方を眺めやった。シバの女王の住んでいる国はもちろん見えないのに違いなかった。それは何かソロモンに安心に近い心もちを与えた。しかし又同時にその心もちは悲しみに近いものも与えたのだった。
 すると突然幻は誰(たれ)も見たことのない獣を一匹、入り日の光の中に現じ出した。獣は獅子に似て翼を拡(ひろ)げ、頭を二つ具(そな)えていた。しかもその頭の一つはシバの女王の頭であり、もう一つは彼自身の頭だった。頭は二つとも噛(か)み合いながら、不思議にも涙を流していた。幻は暫(しばら)く漂っていた後、大風の吹き渡る音と一しょに忽(たちま)ち又空中へ消えてしまった。そのあとには唯(ただ)かがやかしい、銀の鎖に似た雲が一列、斜めにたなびいているだけだった。
 ソロモンは幻の消えた後もじっと露台に佇(たたず)んでいた。幻の意味は明かだった。たといそれはソロモン以外の誰にもわからないものだったにもせよ。
 エルサレムの夜も更けた後、まだ年の若いソロモンは大勢の妃たちや家来たちと一しょに葡萄の酒を飲み交していた。彼の用いる杯や皿はいずれも純金を用いたものだった。しかしソロモンはふだんのように笑ったり話したりする気はなかった。唯きょうまで知らなかった、妙に息苦しい感慨の漲(みなぎ)って来るのを感じただけだった。

番紅花(サフラン)の紅(くれなゐ)なるを咎(とが)むる勿(なか)れ。
桂枝(けいし)の匂(にほ)へるを咎むる勿れ。
されど我は悲しいかな。
番紅花は余りに紅なり。
桂枝は余りに匂ひ高し。

 ソロモンはこう歌いながら、大きい竪琴(たてこと)を掻(か)き鳴(な)らした。のみならず絶えず涙を流した。彼の歌は彼に似げない激越の調べを漲らせていた。妃たちや家来たちはいずれも顔を見合せたりした。が、誰もソロモンにこの歌の意味を尋ねるものはなかった。ソロモンはやっと歌い終ると、王冠を頂いた頭を垂れ、暫(しばら)くはじっと目を閉じていた。それから、――それから急に笑顔を挙げ、妃たちや家来たちとふだんのように話し出した。
 タルシシの船やヒラムの船は三年に一度金銀や象牙や猿や孔雀を運んで来た。が、ソロモンの使者の駱駝はエルサレムを囲んだ丘陵や沙漠を一度もシバの国へ向ったことはなかった。

芥川龍之介が亡くなってから、20年後に廣子は書いている。

(前略)
 「もろもろの薫物をもて身をかをらせ、 煙の柱のごとくして荒野より来るものは誰ぞや」 ソロモンがシバの女王と相見た日のことも考へられる。 世界はじまつて以来、この二人ほどに賢い、富貴な豪しやな男女はゐなかつた。その二人が恋におちては平凡人と同じやうになやみ、そして賢い彼等であるゆえに、ただ瞬間の夢のやうに恋を断ちきつて 別れたのである。
 「シバの女王ソロモンの風聞(うはさ)をきき、難問をもつてソロモンを試みんと 甚だ多くの部従(ともまはり)をしたがへ香物とおびただしき金と宝石とを駱駝に負せて エルサレムに来たり、ソロモンの許に至りてその心にあるところを 悉く陳べけるに、ソロモンこれが問にことごとく答へたり。 ソロモンの知らずして答へざる事はなかりき。
 シバの女王がソロモン王に贈りたるが如き香物はいまだ曾つてあらざりしなり。ソロモン王シバの女王に物を送りてその携へ来たれる物に報いたるが上に、また之がのぞみにまかせて凡てその求むる物を与へたり。」
 旧約聖書の一節で、ここには何の花のにほひもないけれど、 二人が恋をしたことは確かに本当であつたらしい。 イエーツの詩にも「わが愛する君よ、われら終日おなじ思ひを語りて 朝より夕ぐれとなる、駄馬が雨ふる泥沼を終日鋤き返しすき返しまた元にかへる如く、われら痴者(おろかもの)よ、同じ思ひをひねもす語る……」 詩集が今手もとにないので、はつきり覚えてゐないが、 女王もこれに和して同じ嘆きを歌つてゐたやうに思ふ。
 彼等がひねもす物語をした客殿の牀は青緑(みどり)であつたと書いてある。 あまり物もたべず、酒ものまず、ただ乾杏子をたべて、乾葡萄をたべて、 涼しい果汁をすこし飲んでゐたかもしれない。 女王が故郷に立つて行く日、大王の贈物を載せた数十頭の駱駝と馬と驢馬と、家来たちと、砂漠に黄いろい砂塵の柱がうづまき立つて徐々にうごいて行つた。 王は物見台にのぼつて遙かに見てゐたのであらう。
 女王が泊つた客殿の部屋は美しい香気が、東洋風な西洋風な、世界中の最も美しい香りを集めた香料が女王自身の息のやうに残つてゐて王を悲しませたことであらう。
 「わが愛するものよ、われら田舎にくだり、村里に宿らん」 といふ言葉をソロモンが歌つたとすれば、それは王宮に生まれて ほかの世界を知らない最も富貴な人の夢であつた。 あはれに無邪気な夢である。(後略)
(『日本の名随筆48 香』より「乾あんず」

片山廣子の魅力は、龍之介との恋云々というところにあるのではなく、
『翡翠』『野にすみて』などの歌集、『かなしき女王』などアイルランド文学の翻訳
(いまも古びない文体)、『燈火節』というエッセイの美しさと楽しさ。。。。
どれを読んでも、素晴らしい。
そして、最近になって彼女がタゴールの詩をも紹介していたことを知り、
改めて彼女の魅力に迫りたい、と私は著書を再読中。
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by youyouhibiki | 2007-11-16 08:43 |  芥川/片山廣子 | Comments(0)

芥川龍之介の旋頭歌『越し人』

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数年前に偶然、古本市で見つけた『明星』1925年3月号に
芥川龍之介の旋頭歌『越し人』が載っていた。

この『越し人』については、『或る阿呆の一生』に
このように書かれている。

「彼は彼と才力の上にも格闘出来る女に遭遇した。
が、『越し人』等の叙情詩を作り、僅かにこの危機を脱出した。
それは何か木の幹に凍った、かがやかしい雪を落とすやうに
切ない心もちのするものだった。」

「才力の上にも格闘出来る女」とは、堀辰雄の『聖家族』のモデルにもなった
片山廣子を指す。

芥川龍之介全集には収録されているが、こちらに『越し人』を紹介させていただこうと思う。
全集を読むと、龍之介が、俳句だけではなく、長歌、短歌、旋頭歌など
歌の形式にこだわらず多くを作り、友人らへの手紙に書き添えてていたかが分かる。
(いったい何時ごろから、私たちは歌の形式にとらわれるようになったのだろうか。。。)

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越びと  旋頭歌二十五首
           芥川龍之介
     一

あぶら火のひかりに見つつこころ悲しも、
み雪ふる越路のひとの年ほぎのふみ

むらぎものわがこころ知る人の戀しも。
み雪ふる越路のひとはわがこころ知る。

現し身を歎けるふみの稀になりつつ、
み雪ふる越路のひとも老いむとすあはれ。

     二

うち日さす都を出でていく夜ねにけむ。
この山の硫黄の湯にもなれそめにけり。

みづからの體温守るははかなかりけり、
靜かなる朝の小床に目をつむりつつ。

何しかも寂しからむと庭をあゆみつ、
ひつそりと羊齒の卷葉にさす朝日はや。

ゑましげに君と語らふ君がまな子を
ことわりにあらそひかねてわが目守(まも)りをり。

寂しさのきはまりけめやこころ揺らがず、
この宿の石菖(せきしょう)の鉢に水やりにけり。

朝曇りすずしき店に來よや君が子、
玉くしげ箱根細工をわが買ふらくに。

池のべに立てる楓ぞいのちかなしき。
幹に手をさやるすなはち秀(ほ)をふるひけり。

腹立たしき身と語れる醫者の笑顔は。
馬じもの嘶(いは)ひわらへる醫者の齒ぐきは。

うつけたるこころをもちて街ながめをり。
日ざかりの馬糞にひかる蝶のしづけさ。

うしろより立ち來る身に感じつつ、
電燈の暗き二階をつつしみくだる。

たまきはるわが現し身をおのづからなる。
赤らひく肌(はだへ)をわれの思はずと言はめや。

君をあとに君がまな子は出でて行きぬ。
たはやすく少女ごころとわれは見がたし。

言にいふにたへめやこころ下に息づき、
君が瞳(め)をまともに見たり、鳶いろの瞳を。

     三

秋づける夜を赤赤と天づたふ星、
東京にわが見る星のまうら寂しも。

わがあたま少し鈍りぬとひとり言いひ、
薄じめる蚊遣線香に火をつけており。

ひたぶるに昔くやしも、わがまかずして、
垂乳根の母となりけむ、昔くやしも。

たそがるる土手の下べをか行きかく行き、
寂しさにわが摘みむしる曼珠沙華はや。

曇り夜のたどきも知らず歩みてや來し。
火ともれる自動電話に人こもる見ゆ。

寝も足らぬ朝日に見つついく日經にけむ。
風きほふ狹庭(さには)のもみぢ黒みけらずや。

小夜ふぐる炬燵の上に顎をのせつつ、
つくづくと大書棚見るわれを思へよ。

今日もまたこころ落ちゐず黄昏(たそが)るるらむ。
向こうなる大き冬樹は梢(うら)ゆらぎをり。

門のべの笹吹きすぐる夕風の音、
み雪ふる越路のひともあはれとを聞け。

(『明星』1923年3月号より)

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by youyouhibiki | 2007-11-15 00:51 |  芥川/片山廣子 | Comments(1)


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