ファッションと経済と、編集者の情熱と
今日は練馬区立美術館でやっている 「鹿島茂コレクション3 モダン・パリの装い
19世紀から20世紀初頭のファッション・プレート」展のギャラリートークがあり、
鹿島茂先生のお話を聴きました。
先生のお話から自分用memo:
19世紀。
フランス革命の後、それまでは階級によって定まっていた服装が自由になった、
ところが革命で処刑しちゃっているから、ファッションリーダーだった
王妃さま、王女さまがいない!!
→そこでモード雑誌が登場。名編集者も登場。
ジュルナル・デ・ダム・エ・デ・モード 1797年創刊
編集者は元・修道士のピエール・ド・ラ・メザンジェール
クチュリエ+画家+彫り師+刷り師+彩色家の共同作業で良質なファッションプレートが
作られ引っ張りだこに。
舞踏会の時代ともなり、仮面舞踏会用に歴史的衣装や民族衣装のプレートなどもつくられる。
ラ・モード 1829年創刊
エミール・ドジラルダン編集 その後、雑誌を売却。
彼がいなくなると雑誌もすたれる=編集者がいかに重要であったか。
鹿島先生は、バルザックの研究から、彼が連載をしていた
ジュルナル・デ・ダム・エ・デ・モード に関心を持つようになったのがはじまり、
とのこと。
オークションのお話などもちらと伺う。
今回、1階に展示のランテ、ガヴァルニらはこれらの雑誌で人気を博していた。
20世紀
その後、ファッション雑誌が形骸化してしまう時期の後、
100年後、2012年頃に黎明期のファッション雑誌を手にとった人たちが
次々に新しい雑誌を出す。
今回のメインのルパップ、マルタン、マルティら若手画家に、
クチュリエの服を見たままではなく自由に絵を描かせ、
最高の素材で雑誌をつくる(お札に使う和紙を使用、etc.)。
→第一次世界大戦に一度途切れ、終戦の1918年ののち、1920年代の黄金期。
鹿島先生曰く、1920年代はすべてが自由ですべてが許された稀な時代。
それはルネッサンンスに並ぶ、とのこと。
このファインアート、集団製作の時代に、集団の無意識が
クリエートの方向に向った(これは、その時には分からなくて
後になって気づくことなのだけど)。
そして1929年、ウォール街の株暴落。無駄にお金を使うお金持ちがいなくなり、
集団製作は不可能に。終焉。
鹿島先生のお話は、漫画界や映画界の歩みを例にとられたり、
経済と文化の関係を話されたり、とても楽く興味深かったです。
印税の関係で、展示はできても印刷はできないものが多いので
「こういうものを展示しています」とあまり広告できないのだそうですが、
素晴らしいものばかりですので、
練馬区立美術館にお近い方はぜひ足をお運びください。
印刷関係者、書籍関係者、本が好きなみなさまには特におすすめです。
おまけは私のツボ:
『貴社の栄光と商品の高品質に常に配慮せよ! 瑕瑾(かきん)なければ、
貴社の利益は社会全体の利益となるにちがいない』
1924年、コクトーの惹句とマルタンの挿絵で、
1 広告代理店 2 コピーライター 3 デザイナー
4 石版工 5 彫師 6 写真製版工 7 校正刷り
8 植字工 9 印刷工 10 印刷機 11 クライアント
それぞれを描いている傑作です。
(上の写真はマルティの絵はがき)
by youyouhibiki
| 2013-07-27 20:34
| 美術
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by youyouhibiki
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