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詩人高橋睦郎さんに会いに

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「仏界入リ易ク魔界入リ難シ」  一休
あるいは
「本当の詩人はその愛によって地獄の岸部まで下りていく」  リルケ

そのような魔界に、自分も入るためにだけ生きてきた、と。

エリオットは、
「五百年前の詩人、千年前の詩人と対話できるか」
「思想の香りを薔薇のようにかぐことができるか」
と問うたという。
死者との対話。
折口信夫は、おそらくそれが出来た詩人。
おそらく、その詩人も。

さまざまな形式の詩歌を作ることについて:
日本では古典芸能、さまざまな舞台が、断層のようになって
すべて残っている。
たとえば世阿弥の言葉や思いを、実際演じる人の声や仕草を通じて
聴くことができる、幸い。

孤独な生い立ち、投稿少年、東京に出てきて、
落語、歌舞伎、文楽などをたくさん見たこと。
投稿は、短歌、俳句、作文などすべてやったこと、
なので形式に対する壁は感じない、
それぞれの形式を、それぞれの時代の正しい言葉で
現したい。
ただし、短歌と俳句はモードが違うので、
自分の中で少し操作をしなくてはならない、とも。

生と死、愛と恨み=人生
「在るかないかが分らないことだけが確かである」(ボルヘス?)
「本当にここに在るのか」
「生きていることの不確かさと死の確かさ」
「死者を考えないと詩は書けないのではないか」
「生きていることは甘美であるが、甘美であるのは不安があるからこそ」
「詩をつくるとき、一寸先が見えないほうがいい。とんでもないところに
行きつくのが詩」
鴎外の『於母影』、漢語と和語の使い方のバランス
 (鴎外は、欧州の詩を漢語に訳し、それを日本語に訳した)
「現代の詩は散文詩になりやすい、は想像力の低下ではないか」
「書きたいものそれぞれにふさわしい文体を持つ。一篇ごとに文体を持つ」

「詩は書くものではなく、書かされるもの。
向うから来たものを、最高にもてなすのが詩というもの。
もてなすために自分を鍛える」

ほかに話に出た人:高安国世、富士川英郎、
蒲生有明、田村隆一、川端康成、三島由紀夫、ヴァレリー、
ボルヘス、土井晩翠、芭蕉 など

『続続・高橋睦郎詩集』(思潮社)では、
対談などでこれらのことについて詳しく語られているようです。

以上は、私の聞き書きメモです。


追記:
私の質問は、
「連句と言う共同作業の文芸は『魔界』とはほど遠い気がするが、
とは言え芭蕉は連句でしのぎを削っていたわけで、
ご自身ではどのようなお考えを連句に対して持っておられるか?」と。

それに対しては、
「連句は日本の文芸の至れるかたち。
共同作業と反共同作業を
同時に行わなくてはならない。
連衆が必要になり、それは楽しいことであるが、
同時に問題も出てくる。つまり、命がけでやろうとすると
趣味の領域を超えてしまうだろう。
自分は、今回の詩集にも載せているが、
自分の中にそれぞれの人格をつくって
独吟をやってみた。
趣味を超え、命がけでやってみるのも
よいかもしれない」

また、別の方の質問は聞きそびれたが、
現代の言葉について、ヘイトスピーチについて、
という内容だったと思う。それに対して:
「ヘイトスピーチを現代の言葉としてとらえるべきではないのではないか、
人間としての、もっともっと根源的なこととしてとらえるべきではないか。
それでなければ、逆に上っ面なことに終始してしまうと思う」と。
by youyouhibiki | 2015-01-14 00:30 | 詩歌(下記以外)


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